今日の聖句 1月23日(水) わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。神である主の御告げ。 彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。 エゼキエル18:23 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだか ら。』そして彼らは祝宴を始めた。 ルカ15:24 ************************************* 今週のテーマ:聖別された者 きょうの聖書:イザヤ43:14-21 イザヤ書43章19節20節21節 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたが たは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわ き出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。 「従う責任」 きょうの聖書:は主語に注意して読んでください。私たちは、自分の持ち物は自 分で聖別できますが、自分自身を聖別するということはできません。私たちを造 ったのは神様です。私たちは自分で自分を造るということはできないからです。 私たちは自分と自分の人生を神様の御手に委ねるより他はないのです。 私たちを聖別して神様のための人間に造り替えるのは神様だということを忘れて はならないと思います。神様が「主」なのです。その主である神様が私たちを贖 い、私たちをきよめ、私たちを神の子としてくださるのです。イスラエルを選ん だのは神様なのです。 私たちは、私を牧師にしてくださいと神様に頼むことはできるでしょうが、神様 がどう思おうと、私は神様には関係なく牧師になりますから、という発言はあり 得ないことだということです。各時代の聖別された人たちはそれぞれ前途を神様 に委ねて従っていったのです。 聖別された人の人生は、聖別される前と後とでは、大きな違いがあります。聖別 された後の人生は、神様の賜物に包まれるのと同時に、大きな困難も背負うこと になります。選ばれた者の責任、それは従うということです。従った者が味わえ る神様の栄誉、を宣べ伝えるということです。「水を汲みし僕は知れり。」 祝福を祈ります。