今日の聖句11月4日(日) 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。 人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。 詩篇8:4 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださ ったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ローマ5:8 ***************************** 今週のテーマ:神が求められること きょうの聖書:ルカ18:9-14 ルカの福音書18章 取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言っ た。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、 この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜな ら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるから です。」 「謙遜な祈り」 取税人が祈る前に、パリサイ人が「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不 正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝し ます。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげて おります」と祈ったとされています。 パリサイ人の祈りは自分で自分を義とする祈りで、取税人の祈りは自分を罪人と 認める祈りです。神様は自分の罪を認めて憐れみを求める人を義と認めてくださ るお方です。神様によって義と認められるならばその義は確実なものであり、自 分で作った義はたちまち崩れてしまいます。 「自分の罪を認めて、他の人を尊敬すること」それを神様が私たちに求めている と教えられました。神様と人々への従順と謙遜は私たちクリスチャンだけでなく すべての人が求めていくべき目標であり、積極的に勝ち取っていくべき賜物であ ると思います。 神様に対して憐れみを求める以外に何もできない私たちを、愛して、赦して、私 たちの存在を祝福して義と認めてくださるイエス様に感謝します。取税人は神様 から義と認められて家路につきました。今日も主日礼拝で謙遜な祈りを捧げて新 しい一週間の始まりとさせていただきましょう。 祝福を祈ります。