今日の聖句9月28日(金) 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私た ちに報いることもない。 詩篇103:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだ めの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 1ヨハネ4:10 ****************************** 今週のテーマ:勧告 きょうの聖書:テトス3:1-11 テトスへの手紙3章7節8節 私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、 相続人となるためです。これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれ らのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じて いる人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのこと は良いことであって、人々に有益なことです。 「確信をもって話す」 パウロはテトスに確信を持って話すように指導しています。パウロの指導も確信 に満ちた指導です。「五つの確信」というタイトルの小冊子があります。救い、 祈り、勝利、赦し、導きの確信です。信仰生活において確信は必要であり、特に 福音の奉仕者は十分な確信を持っていなければなりません。 「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえ に、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊 かに注いでくださったのです」と語り、ここに確信のポイントを置くように教え ています。 神様の愛と、神様が教会に授けた聖霊によって私たちが救われているという事実 をしっかり確信して伝道する必要があるわけです。私は25歳で救いの確信を持 つことができました。初めて教会へ行ってから4年目で、洗礼を受けてから3年 目のことでした。翌年、26歳で千葉の聖書学院に入れてもらいました。 その日与えられた確信は今日まで揺らぐことはなく、その初めての確信が核とな って、私に与えられた確信は、池に落ちた石によってできた波紋が広がるように 拡大し続けています。十数年続いているこのディボーションが私の確信の源泉で す。確信は喜びと平安を生み出します。 祝福を祈ります。