今日の聖句9月26日(水) わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかち とる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられた からである。 イザヤ53:12 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほ かには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほか は、だれも父を知る者がありません。 マタイ11:27 ***************************** 今週のテーマ:勧告 きょうの聖書:ルカ20:20-26 ルカの福音書2章24節25節 「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘です か。」彼らは、「カイザルのです。」と言った。すると彼らに言われた。「で はカイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさ い。」 「責任」 これは、イエス様がシュロの日曜日にエルサレムに入り、翌日、神殿の庭で、 商売人たちを追い出し、祭司長たちに「あなたがたは神殿を強盗の巣にした」 と叫んだ後の出来事です。祭司長はイエス様を殺害するという意志は固めてい ましたが、告発する理由がありませんでした。 ローマ皇帝に背く者、という罪状を着せて殺すことを企み「私たちが、カイザ ルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか」という質問で 罠にかけようとしました。納めるな、と答えればローマへの反逆者として一発 で逮捕できますし、納めろ、と答えれば神様とユダヤ国民への裏切り者として 捕らえようという魂胆です。 それを見抜いたイエス様の祭司長たちへの答えがこの24.25節です。神の 国の真理を説き明かすイエス様の言葉は、弟子に対しても、反対者に対しても 無駄が無く、このような場面でも、クリスチャンの、社会と神様への責任のあ り方が明確に語られています。 税金を納めて社会への責任を果たし、神様に忠実に仕えて神様への責任を果た しなさい、という教えは実に明快です。昨日も今日も責任という言葉を使いま したが、私も時々自分の果たすべき責任を忘れてしまうことがあります。先日 の信徒セミナーで父として夫としての責任を思い出させられたばかりです。 祝福を祈ります。