今日の聖句8月11日(土) 神は私の道を見られないのだろうか。私の歩みをことごとく数えられないのだろ うか。 ヨブ31:4 私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その 肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。 2コリント5:10 **************************** 今週のテーマ:暴虐の中にも きょうの聖書:エレミヤ20:7-13 エレミヤ書20章11節12節 主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、 つまずいて、勝つことはできません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、 それが忘れられない永久の恥となりましょう。正しい者を調べ、思いと心を見て おられる万軍の主よ。あなたが彼らに復讐されるのを私に見せてください。あな たに私の訴えを打ち明けたのですから。 「神様の偉大な力」 これは、ユダ王国がバビロンに滅ぼされる直前の出来事です。エレミヤは神殿の 庭に立って、『見よ。わたしはこの町と、すべての町々にわたしが告げたすべて のわざわいをもたらす。彼らがうなじのこわい者となってわたしのことばに聞き 従おうとしなかったからである』と神様のことばを叫びました。 それを聞いた祭司のパシュフルはエレミヤを捕らえ、神殿の門に足かせでつない でしまいました。翌朝解放されて再びエレミヤは『彼らは、あなたの目の見る所 で、敵の剣に倒れる。また、わたしはユダの人全部をバビロンの王の手に渡す。 彼は彼らをバビロンへ引いて行き、剣で打ち殺す』と語りました。 その後のエレミヤの神様への祈りのことばが7-13のきょうの聖書です。神様の みことばを語ったがために逮捕され、門につながれて見せしめにされるという暴 行を受けてしまい、傷心したエレミヤでしたが、この祈りの中で、神様の偉大な 力で保護されている、と確信し、賛美を捧げるに至ります。 私たちの日常にも、善行を行って物笑いにされ、福音を語り、神様の恵みを証し して馬鹿にされるということはしばしばあることです。しかし、物笑いにされ、 馬鹿にされたからといって、ひるんだり臆したりすることはありません。善行と キリストの証しは、神様のものです。神様は偉大な力でその人を助けて、ご自身 の善行とし、ご自身の証言として用いてくださるのです。 祝福を祈ります。