今日の聖句8月9日(木) 私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 ハバクク 3:18 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う 友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。 マルコ2:19 ************************************* 今週のテーマ:暴虐の中にも きょうの聖書:黙示録20:7-15 ヨハネの黙示録20章12節 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見 た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それ は、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされていると ころに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 「いのちの書」 天の御国への復活の希望が私たちを救うのです。ローマ8:24には「私たちは、 この望みによって救われているのです」というパウロの証のことばがあります。 救われて天の御国の憩いに入るか、キリストを信じないで火の池に投げ込まれて 永遠の裁きを受けるのか、決断は私たちにゆだねられているのです。 弾圧や迫害を受けたクリスチャンは、いつの時代でもキリストから賜わるこの希 望で励まされ、力づけられて福音を宣教し続けてきたのです。イエス・キリスト の十字架の死と復活による救いを受けた人は、いのちの書と呼ばれている書物に 名前が書き込まれていて、最後の大審判の時にはこれが開かれて、改めて無罪の 判決とともに天の御国への門が開かれるのです。 いのちの書には名前が書かれているだけでなく、一人一人の人生の記録が記入さ れています。善行の記録も、悪行の記録も神様によって余さず記されます。私た ちは日々の信仰生活の善い記録を残し続けるものであり、犯罪の記録は残さない ものでありたいと思うのです。その記録に従って審判がなされるからです。 最後に至って問われることは、神様からいただいた賜物や能力、恵みや祝福など を、どのように用い、どのようにキリストの愛を伝えるために活用したかという ことです。私には、頂いた恵みをどぶに捨てるようなことをしていないかどうか 頂いた賜物で人を蔑んでいないかどうか等、反省点はたくさんあります。 祝福を祈ります。