今日の聖句7月15日(日) 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安 らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。 ミカ5:4 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖く なければ、だれも主を見ることができません。 ヘブル12:14 ***************************** 今週のテーマ:キリスト者の苦しみ きょうの聖書:マタイ11:25-30 マタイの福音書11章29節30節 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負っ て、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのく びきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 「くびき」 28節には、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来 なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とあります。負っている重 荷の中身は直接的には「律法主義」というユダヤ教のくびきです。問題は無理や り、律法を押し付けられて苦しんでいる人がいるということでした。 律法は完全に守らなければ意味がないという性質を持っています。しかし、人間 は律法を完全に守るだけの力は持っていないのです。聖書のみことばを、ユダヤ 教の律法の文言と同様に扱ってはいけないのです。それはうわべを形式だけなぞ るようなことなのです。 私たちクリスチャンも、うわべだけ、形式だけの信仰に陥ることがあります。そ の穴に落ち込むと、不平と不満という悪感情に悩まされるようになります。「形 式主義」でも平穏無事なときは何とか凌げますが、問題が起こるとその問題に対 応できず、悔しさばかりが心を占めてしまうのです。 そういう律法主義や形式主義の穴に落ちて苦しんでいる人に救いの手を延べ、招 いているのです。イエス様の招きを受け、イエス様に赦され、イエス様の愛の中 で生きることが重荷からの開放になるのです。イエス様のくびきは赦しで、イエ ス様によって私たちの心には安らぎが広がるのです。 祝福を祈ります。