今日の聖句6月20日(水) まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っ ても、朝明けには喜びの叫びがある。 詩篇30:5 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリ ストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 1テサロニケ5:9 ***************************** 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:ヘブル10:11-18 ヘブル人への手紙10章17節18節 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。 「犠牲か保身か」 神様は御子イエス・キリストを動物の替わりに十字架にかけ、私たちに対する罪 の赦しをなし遂げてくださいました。全知全能の神様がなさったこの十字架の出 来事は永遠であり、誰に対しても完全に効力を発揮するものです。ですから今は 動物を犠牲にする礼拝はしません。 旧約時代の人々が動物が犠牲になる様子を見て、自分の罪を自覚したように、私 たちは、イエス・キリストの十字架を見て、自分の犯した罪の深さを自覚しなけ ればならないでしょう。罪を自覚しないまま十字架を見ても、そこには何の感動 も生まれてきません。 神様の愛と神様の真実に比べたら、私たちには愛はなく、私たちには真実はあり ません。愛と真実がないということこそ、私たちが神様に対して悔い改めなけれ ばならない罪なのです。愛と真実がないと一気に保身に走ります。私は保身の天 才です。 イエス様は永遠の愛と真実で、私たちの罪を赦すために十字架で犠牲になってく ださいました。この救い主イエス・キリストを見上げ、このイエス・キリストを 礼拝することこそ、私たちの信仰であり礼拝です。イエス様に赦され、イエス様 の愛で包まれ、イエス様のような愛と真実な人に変えられていくのです。 祝福を祈ります。