今日の聖句5月6日(日) ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠 れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 イザヤ40:27 今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あ なたがたは大いに喜んでいる。 1ペテロ 1:6(口語訳) ***************************** 今週のテーマ:新しい生命 きょうの聖書:ヨハネ3:31-36 ヨハネの福音書3章36節 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見 ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。 「永遠のいのち」 永遠のいのちという言葉の「永遠」は「神」に置き換えられるものです。永遠と いう言葉は、果てしなくながく続くこと、という意味です。また、初めが無く、 終わりもないという意味でもあります。何ものにも左右されない真理と言い換え ることもできる言葉です。 神のいのちと言い、何ものにも左右されない真理と言えば、それは神の愛です。 御子イエス・キリストに永遠のいのちがあるので、御子を信じるものは御子とと もに永遠のいのちを持つことができるのです。枝が幹に繋がっているように私た ちが御子に繋がっているなら、御子のいのちが私たちのいのちになるのです。 永遠とは、何万年とか何億年とかいうような長い年数のことではないのです。 「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブ ル9:12)のです。永遠のいのちとは「最も大切な神の愛」のことなのです。御子 を信じることによって永遠のいのちを持てるのです。 神の怒りがその上にとどまる、といわれていますが、これは私たちに御子を信じ る決断を促す言葉です。そのうちキリストを信じようとか、そのうち洗礼を受け ようと言っていてはいけないと強く迫る言葉です。今日は日曜日です。ご自分の 一死をもって私たちに永遠のいのちを与えたイエス・キリストへの信仰を明白に する決断の日です。 祝福を祈ります。