今日の聖句4月23日(月) 「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」 出エジプト24:7 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたし の弟子であることを、すべての人が認めるのです。 ヨハネ13:35 ***************************** 今週のテーマ:贖う神 きょうの聖書:イザヤ44:6-8 イザヤ書44章6節7節8節 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたし は初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠 の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げること ができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未来の事、来たるべき 事を告げさせてみよ。恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに 聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神 があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。 「恐れるな」 神様は贖う方。イスラエルは神様の贖いを証明するために永遠の民として選ばれ た人々の国です。贖いとは買い取るという意味です。聖書では奴隷の身となった 人を身代金を支払って買い戻すという意味で用いられ、更に罪の奴隷となった人 を罪の力から御子キリストのいのちを身代金として買い戻して義人の地位に戻す という意味で使われています。 イスラエルの存在は、神様が実在することを証明し、神様の贖いを証明し、神様 の永遠の愛を証明しています。それは、出エジプトとバビロンからの帰還と19 48年の国家再建によって成し遂げられたことです。一度ならず三度も滅亡した 国が再建されて世界をリードする先進国に生まれ変わるとは神様の力なしには考 えられないことです。 証人となるべき者が、神様の贖いを証明するには、奴隷の身に陥ることを経験し なければなりません。そこで神様は「奴隷の身に陥ることを恐れるな。わたしが 贖う」と宣言しているのです。濡れ衣を着せられて被告席に着けられようが、悪 口雑言の標的にされようが、一家離散の憂き目を見ようが、神様は必ず元通りに して下さる方なのです。贖い主です。 クリスチャンである私たちは、神様の実在を証明し、神様の贖いを証明し、神様 の永遠の愛を証明する責任を負っています。もしこの責任を果たさないならばそ のクリスチャンの存在は無駄になってしまうかも知れません。有意義な信仰生活 のためには私たちが証人として立つことが不可欠なのです。私(好邦)が良い証し 人になれますようにお祈りをお願いします。 祝福を祈ります。