今日の聖句4月3日(火) エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎 は償われた。 イザヤ40:2 自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが 罪を離れ、義のために生きるためです。 1ペテロ2:24 *************************************** 今週のテーマ:イエスの苦しみ きょうの聖書:マタイ26:69-75 マタイの福音書26章69節70節 ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、 ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」しかしペテロはみなの前でそれを 打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。 「受難と栄光」 キリストの仲間であると知れると自分もキリストのように逮捕され、キリストの ように死に至らしめられるかも知れない、という恐れは私たちのこころに湧いて くるものなのかも知れません。ペテロにとっては師匠であるイエス様が自分の目 の前で兵士によって捕縛されていますので他人事ではないのです。 ペテロはイエス様の「鶏が鳴く前に三度、あなたは、私を知らないと言います」 ということば通りにイエス様を三度まで否定してしまいます。これが普通の人、 凡人の姿なのだなあと思います。何よりも自分の身の安全が大事なのです。自分 の身よりも神様を大事にするということは並大抵のことではないのです。 こういう聖書箇所を読んでみると、ペテロよりももっとだらしのない自分と、逆 に堂々と十字架を担って歩み、自分の命よりも神様の栄光のために生きたイエス 様の輝かしさが浮き彫りになります。ペテロが腑甲なくキリストを否定するごと に御父を仰ぎ見て神の国への道を進み行くイエス様の気高さに心が打たれます。 イエス様の十字架は、私たち罪人の身代わりとして刑罰を受けたという意味と、 もう一つ、私たちの神様への従いの身代わりという意味があります。私たちも神 様のみことばに服従して生きていくべきなのですが、それができない私たちに代 わってイエス様が神様の栄光のために死力を尽くして従ってくださったというこ とです。イエス様の受難には神様の栄光が輝いています。 祝福を祈ります。