今日の聖句3月19日(月) 私の民の娘の傷のために、私も傷つき、私は憂え、恐怖が、私を捕えた。乳香は ギルアデにないのか。医者はそこにいないのか。それなのに、なぜ、私の民の娘 の傷はいやされなかったのか。 エレミヤ8:22-23 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の 中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。 マルコ5:29-30 ***************************** 今週のテーマ:復活の予告 きょうの聖書:マタイ26:6-13 マタイの福音書26章6節7節 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん 高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられた イエスの頭に香油を注いだ。 「油を注いだマリヤ」 マタイ伝では21章にロバの子に乗るエルサレム入城が記録されています。です からきょうの聖書は受難週中のことです。一人の女とはマグダラのマリヤです。 キリストと訳されている言葉はメシヤですが、メシヤを日本語に直訳すると「油 を注がれた者」という意味です。 任職の油といいます。律法学者や祭司長などユダヤ教の指導者がこぞってイエス 様をサタン呼ばわりして十字架で処刑しようとしているとき、マリヤは壺の油を 余さずイエス様の頭上に注ぎかけ、この方こそ神様から使わされたメシヤ様です と宣言したのです。 12節でこの油注ぎは埋葬の用意だといわれていますが、その意味は十字架と復 活による贖いの完成の用意なのです。この油注ぎの出来事が「世界中のどこでで も、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記 念となるでしょう。」(13節)といわれる所以です。 誰がイエス様を否定しようと、勇敢に油を注いで、イエス様が救い主です、と証 言したマリヤの行いは何時の時代でも教会に引き継がれていくべきこととして教 えられているのです。教会とクリスチャンへの弾圧はいつ、何処で起きるか予測 できません。牧師や宣教師が殺されるニュースは今も後を絶ちません。それでも なお、教会はイエス様こそ救い主ですと証言し続けているのです。 祝福を祈ります。