今日の聖句3月17日(土) まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかける と、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。 詩篇62:9 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなけ れば、決してそこに、はいることはできません。」 マルコ10:15 ***************************** 今週のテーマ:不安と希望 きょうの聖書:イザヤ53-1-12 イザヤ書53章6節7節 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行っ た。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。 彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈 る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 「羊飼いイエス・キリスト」 羊とその他の動物の違いは「迷う」ということだといわれています。羊飼いが連 れて歩かないと羊は小屋に帰れないのです。自分で牧草地を探すことも水場へ行 くこともできないという話しです。迷った後は崖から落ちるか、餓死するか、或 いは野獣に襲われて死ぬばかりです。 聖書は私たち人間を羊に例えています。天国への帰り道を知らず、私たちのたま しいに必要ないのちのパンもいのちの水もその存在さえ忘れ、創造主の存在を否 定するまでに神様から遠く離れ、迷いに迷っているのが実状です。聖書に書いて ある「滅び」とはこの「迷い」のことなのです。 自分が迷っていると気づいた人の心は不安に包まれています。気づかなければ危 険に向かって勢いよく突き進んでいくわけです。羊は迷っているという自覚は持 てない危うい存在なのです。しかし、神様は羊に羊飼いの声を聞き分ける耳を持 たせてくださったので羊飼いの声を頼りに生きられるのです。 キリストの十字架は罪人を救うものですが、同時に罪人の末路を明示しているも のでもあります。滅びの世界に埋もれるか、羊飼いイエス・キリストの声に自分 の人生をゆだねていきるか、その道は私たちが自分で決めなければなりません。 イエス様は今日も「わたしのところに来なさい。」と招いています。 祝福を祈ります。