今日の聖句3月14日(水) モーセとアロンはパロのところに行って、彼に言った。「ヘブル人の神、主はこ う仰せられます。『いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。わたし の民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。 出エジプト10:3 神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。 1ペテロ5:5 **************************************** 今週のテーマ:不安と希望 きょうの聖書:アモス8:9-12 アモス書8章11節12節 見よ。その日が来る。─神である主の御告げ─その日、わたしは、この地にきき んを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞 くことのききんである。彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主の ことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。 「みことばの飢饉」 アモスは北イスラエルで紀元前760年から750年頃にかけて活動した予言者 です。当時のイスラエルは貧富の差が激しく、強者が弱者を虐げ、奴隷として売 られる人々が多数あったということです。アモスはそういうイスラエルに遠から ずみことばを聞くことの飢饉がくることを予言しています。 私たち説教をする牧師にとって神様のみことばを聞けなくなることは致命傷にな ります。信者の皆さんでもみことばを失うと喜びも希望もなくなります。求道中 の方はみことばを授かって救いの確信を持てるようになります。みことばを失う と迷いの淵に沈み込むのが私たちです。 私たち聖協団はみことばを求めてお祈りをします。あたかも雨乞いをする農家の ようにみことばを求めます。しかし、そのみことばが途絶える日があります。与 えられたみことばに従わないでいるといつの間にかみことばが途絶えるのです。 私たちが罪を犯すとみことばは私たちの心から取り上げられてしまうのです。 罪を犯し、悔い改めないでいると、聖書を読んでも何も感じないという心の状態 に陥る日が来るということです。みことばの飢饉を招かないためには進んでみこ とばを実行し、キリストを手本として生きる道に進むことです。みことばは私た ちに愛を、信仰を、希望、生き甲斐、勇気等すべての良いものを届けてくれるの です。 祝福を祈ります。