今日の聖句3月4日(日) いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。 詩篇91:1-2 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎み との霊です。 2テモテ1:7 **************************** 今週のテーマ:十のいましめ きょうの聖書:ヨハネ2:13-22 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三 日でそれを建てよう。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるの に四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」しかし、 イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。 「空回り状態」 ユダヤ人たちは神殿で牛や羊を神様に捧げる礼拝を捧げていました。そこへ登場 したイエス様は「羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台 を倒」すということをなさいました。それはユダヤ人の礼拝がマンネリを通り越 し世俗的化し、商業的にになってしまっていたからです。 創造主のみを礼拝し、偶像を拝むなという大きないましめがあり、全焼の犠牲を 捧げて礼拝せよといういましめがありますが、この当時、ユダヤ人は神殿へ来て 牛を買い祭司に渡して帰宅する、祭司はその動物を全焼にはせず、引き回して再 び商人に渡して金に換えるという形になっていたのです。 神のおきてもモーセの十戒も地に落ちてしまい、ユダヤ人の礼拝は神様には届か ない空回り状態になっていたわけです。イエス様の救い主としての使命はこの状 態を打破するという点にありました。それで神殿(建物)を礼拝するよりも、真実 な礼拝を訴えて「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよ う」言われたのです。 本日の主日礼拝にも同じ事が言えるのかも知れません。私たちの礼拝が空回り状 態になっていないかどうか、「あなたがたのからだを神に受け入れられる、聖い 生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」と いう基準に達しているかどうか考えさせられます。 祝福を祈ります。は互いに愛し合うということです。そして、その愛を更に必要 としているのは他ならぬ未だ神様を知らない人たちなのです。イエス様が命を捨 ててまで私たちに与えてくださった愛を人々に伝えるのが私たちの使命です。 祝福を祈ります。