今日の聖句1月18日(水) まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この 方が私たちを救われる。 イザヤ33:22 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けく ださい。」 マルコ9:24 ***************************** 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:創世記22:7-12 創世記22章9節10節 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を 築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上 に置いた。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。 「義とみなされた信仰」 神様から「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」というご命令 を頂いたアブラハムは意を決して実行に移りました。遂に「刀を取って自分の子 をほふろうとした」というところまできました。そのまま進めばイサクは殺され たでしょう。 しかし「あなたの手を、その子に下してはならない」と神様が遮りました。アブ ラハムは神様を信じ、神様に従うということについて、条件も限界も設定しなか ったと教えれます。無制限に神様を信じて神様に従ったということです。 「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことば が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。という話しですが、神の友と呼ばれる 程の信仰とはどんな信仰かと考えていましたが、ここに答えがあるように思いま す。 それは、条件も限界も設定しない信仰です。私たちは勝手に限度を決めて「これ 以上は駄目」という結論を出してしまっているようです。アブラハムは神様から ストップがかけられるまで黙々と従い続けました。その信仰が義と認められたわ けです。 祝福を祈ります。