今日の聖句11月25日(金) 彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令 を守るように。 申命記5:29 神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるため です。 1テサロニケ4:7 ***************************** 今週のテーマ:神の裁き きょうの聖書:エレミヤ45:1-5 エレミヤ書45章4節5節 あなたが主にこう言うので、主はこう仰せられる。『見よ。わたしは自分が建てた 物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。 あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべ ての肉なる者に、わざわいを下すからだ。―主の御告げ。―しかし、わたしは、あ なたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。』 「神のいつくしみときびしさ」 ユダヤ滅亡直前に、絶望しているバルクという律法学者にエレミヤを通して語られ た神様のことばです。バルクとエレミヤは友人同士です。きょうの聖書の要点は、 神様のユダヤに対する裁きは必ずあるということ、そして、バルクの命は必ず守ら れるという約束です。 私たちは神様の裁きを侮り、軽視することはできません。罪人に対する処罰は必ず あるのです。それと同時に神様のあわれみも失われてしまうということは決してな いのです。パウロはローマ人への手紙11章で「見てごらんなさい。神のいつくし みときびしさを。」と言っています。神様のいつくしみときびしさは表裏一対なの です。 悔い改める者に対して神様はあわれみ深く赦しの恵をくださるさるということです。 私たちが悔い改めることができるのは、神様の優しさ、神様の愛と赦しを信じるか らです。と言うよりむしろ、赦された喜びと安らぎの中で感謝の気持ちで悔い改め ることができるという方がより良い表現かも知れません。 私たちには常にキリストの十字架が示されており、神様は「赦しを保証して」私た ちの悔い改めを待っているのです。もし自白したら、それが証拠として採用されて 有罪の判決が出る、というようなことではないのです。神様の怒りと刑罰はイエス 様が一身に受けてくださったからです。 祝福を祈ります。