今日の聖句10月17日(月) ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。 イザヤ64:1 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主 としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 ピリピ3:20 ***************************** 今週のテーマ:ささげる きょうの聖書:詩篇51:16-19 詩篇51篇16節17節 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のい けにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔 いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。 「柔軟で素直な心」 この詩篇はダビデが部下ウリヤの妻を不倫で犯し、ウリヤを戦場でだまし討ちに した後、預言者ナタンに罪を暴かれ、神の審判を告げられたときに作られたもの です。罪を犯したあと、牛を生け贄にしてささげても神様はそれを受け入れるこ とはないのです。 ダビデは「まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも 私の目の前にあります。」(3)と述べて自分の犯した罪の重さを深く認識してい ることがわかります。そもそも罪を赦されて救いを受けた私たちクリスチャンが、 罪を犯しながら無罪を主張し続けるようなことはあってはならないことです。 「砕かれたたましい」といわれていますが、これは岩のような堅い頑固頑迷な心 に対していわれている言葉です。柔軟で素直な心のことを砕かれたたましいとい います。私たちの心は岩のような心でしたが、イエス・キリストが十字架に現し た神様の愛によって溶かされ砕かれてきたのです。 罪を犯したからといって、形式的に牛などを犠牲にしたくらいで人間の罪が消え ることはありません。むしろ、私たち罪人のために犠牲となって死なれたイエス ・キリストの苦しい心を受け止め、罪を償って再起することが肝心です。それこ そが神へのささげものに他ならないのだと教えられます。 祝福を祈ります。