今日の聖句10月12日(水) 私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留して いる者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。 1歴代誌29:15 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれてい たのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。 事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 ヘブル11:16 *********************************** 今週のテーマ:ひたむきに きょうの聖書:ピリピ3:12-16 ピリピ人への手紙3章13節14節 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この 一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向 かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るため に、目標を目ざして一心に走っているのです。 「目標を目ざして」 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。」 と12節で述べています。私たちクリスチャンが目指している目標はキリストで す。パウロもイエス・キリストを模範とし、手本として生きているのです。 「ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう」と15節で うったえるわけです。『キリストに似たものになる』このことのために直向きに なり、このことのを目指して一心に走るということが私たちクリスチャンの人生 であるわけです。 あまりにゴールが遠くて高いので気絶しそうです。あきらめとしまいそうです。 そういう私たちにパウロは「すでに達しているところを基準として、進むべきで す」とアドバイスしています。聖書を持っているということも、教会へ行ったこ とがあるということも出発点、赦されたということ、愛されているということを 知ったのも立派な基準です。 この目標は私たちが人生をかけ、命をかける値打ちがあり、生き甲斐をもたらし ます。キリストに似たものになりたいという向上心を失わず、生涯上を向いて歩 く者としてキリストに捕らえられている、というのがパウロの気持ちです。使徒 ヨハネも「私たちはキリストに似た者となることがわかっています」という確信 語っています。この確信をいつも持っていたいですね。 祝福を祈ります。