今日の聖句 9月20日(火) 「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄 光を現わす。」 イザヤ49:3 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いの ためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。 エペソ1:14 ***************************** 今週のテーマ:老いの冠 きょうの聖書:イザヤ46:1-4 イザヤ書46章4節 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっ ても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わ たしは背負って、救い出そう。 「背負う神」 1節のベルとネボはバビロンの偶像です。偶像は自立することも自走することも できず、移動するには荷車に乗せられるしかなく、落下しても自分で自分を助け ることもしない。と言われています。一方、主なる神様はイスラエルの生みの親 にして、イスラエルを背負っている方です。(3) 将来有望な者を援助しよう、と言う考えがあります。しかし、先の見込みのない 者には投資されることは少ないでしょう。イザヤが預言していた頃は北イスラエ ル王国は滅亡の危機に瀕していました。南ユダ王国も100年後には滅びます。 滅びつつある国に対して神様は援助を惜しまず、背負ってでも次のステップへ運 んでいくと語っているのです。 「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。」とは有難いことばです。 愛情がなければ人を背負うということはできないでしょう。あなたが将来有望で あってもそうでなくても、私はあなたを背負う、と言われているのです。これが 神の愛です。神様がこういう御方だから私たちは救われたのです。 年をとるとか、白髪とか年齢的な言葉が使われていますがそれだけでなく、私た ち人間がどのような状況や環境の中にあっても神様は永遠の愛をもって私たちを 助け、支えて下さる御方だと信じることができます。私は立場上からか聖会やセ ミナーの前になると神経質になりやすいのです。しかし、神様が私を背負って向 こう岸まで運んで下さると信じるときに、不思議な立ち上がりを与えられてきて います。 祝福を祈ります。