今日の聖句 9月18日(日) 神よ。立ち上がって、地をさばいてください。まことに、すべての国々はあなた が、ご自分のものとしておられます。 詩篇82:8 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・ イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。 テトス2:13 ***************************** 今週のテーマ:老いの冠 きょうの聖書:ルカ2:25-38 ルカの福音書2章25節と36節37節 エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエ ルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非 常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめ になり、84歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもっ て神に仕えていた。 「命の番人」 「シメオン・アンナ」と言えば教会ではおじいさんとおばあさんの代名詞のよう に使われています。この二人が生まれたばかりのイエス様を神殿で迎えたのです。 イエス様が母マリヤの胎に宿るとナザレの人々はマリヤを石で撃ち殺そうとし、 父親にあたるヨセフはマリヤを内密に去らせようとしました。 敵意の中に放り込まれるようにして人間世界に送り込まれたイエス様でしたが、 神様は神殿にイエス様を歓迎する二人を備えていて下さいました。二人の老人は 聖霊によってメシヤの到来を知らされていましたので、イエス様を歓迎し、エル サレムで救いを待っていた人々にメシヤの誕生を告げ知らせたのです。 孫の誕生を喜ぶおじいさんとおばあさんによく似ています。年寄りは命の価値を よく知っているのです。若いものたちが粗末にする命を守ったり救ったりしてい るのが老人たちです。今度の地震と津波でも多くの幼い命が奪われ、中近東の革 命戦争でも青年たちが非業の死を遂げています。 死の悲しみを味わい続けて今を迎えている老人とは神様によってこの世に遣わさ れた命の番人のように思えるのです。隠居して呑気にしている場合ではありませ ん。特にクリスチャン老人には若い者、次世代を背負う人たちのために祈るとい う大きな使命があります。私たち現役世代の者は謙遜になって老人の言葉を聞く ように心がけたいものです。(私も今年から前期高齢者です。) 祝福を祈ります。