今日の聖句 9月16日(金) 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。 イザヤ53:1 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、 熱心に尋ね、細かく調べました。 1ペテロ1:10 ***************************** 今週のテーマ:文書の記録 きょうの聖書:1列王8:1-9 列王記第一8章1節と9節 そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たち、およびイスラエル人の部族のかし らたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダ ビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった。 箱の中には、二枚の石の板のほかには何もはいっていなかった。これは、イスラ エル人がエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モー セがホレブでそこに納めたものである。 「聖書を読もう」 カナン定住後、契約の箱はエルサレムの北方約30qの、エフライムのシロの町 にあった幕屋(礼拝場所)に安置されていました。300年の時が下ってダビデが 全土を制圧した後、現在のエルサレム城の東500メートル程の所のダビデの町 シオンに置かれていました。そこから新築なったエルサレム神殿へと運び込まれ ることになりました。 契約の箱は部族のかしらたちと一族の長たちが見守る中でレビ人や祭司たちによ り神殿内の至聖所へと運び込まれて安置されました。「祭司たちが聖所から出て 来たとき、雲が主の宮に満ちた。」(10)ということです。昼は雲の柱、夜は火の 柱となって出エジプトの旅を導いた神様が御臨在を示されたのです。 しかし、この時点で石版とその入れ物である木の箱はいわゆる御神体となってし まいました。肝心要の十戒は読まれることなく箱の中に治められてしまい、拝ま れるばかりのものになりはててしまったのです。文書の記録は読まれなければ意 味がないのです。 私たちにとっては聖書ですが、現実には礼拝用具のようになっていないでしょう か。礼拝だから聖書を持って行くとか、教会に自分の聖書を起きっぱなしにして おくとかで、個人的に聖書を読む人が少ないように思えます。1500年の歳月 と40人以上の人の手を経て書き残された人類の宝です。人に読まれて力を発揮 するのが聖書です。今日から聖書を読み始めてみませんか。 祝福を祈ります。