今日の聖句 9月7日(水) あなたの目は、麗しい王を見、遠く広がった国を見る。 イザヤ33:17 キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっていま す。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 3:3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるよう に、自分を清くします。 1ヨハネ3:2-3 ***************************** 今週のテーマ:重荷 きょうの聖書:出エジプト4:10-13 出エジプト記4章12節13節 「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教え よう。」すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」 「ほかの人を」 神様はモーセに3章の10節で「わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出 せ。」という命令を下しました。モーセは繰り返し断り続けますが神様は懇切に 出エジプトの御業の過程を語ります。それは知らないところへ行く人に地図を書 いて渡すようなことです。しかしモーセは承知しましたとは答えません。 モーセは「私は口が重く、舌が重いのです。」(4:10)と言い、しゃべれないんだ から無理です、と断りましたが、神様は「わたしがあなたの口とともにあって、 あなたの言うべきことを教えよう。」とまで言われます。それでも最後に「ほか の人を遣わしてください。」と口答えして神様を怒らせてしまいます。 モーセには「イスラエル人をエジプトから連れ出せ」という命令が下り、同じ主 から12使徒には「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)という 命令が下っています。モーセには「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあっ て、あなたの言うべきことを教えよう。」と語り、使徒たちには「見よ。わたし は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と励ましています。 出エジプトも世界宣教も人間に出来る仕事ではありません。これは、神様ご自身 の御働きそのものです。それを自分でしなければならないと思ったらこれ以上の 重荷はないでしょう。しかし、神様がなさる神様の働きのお供になるのだと知り、 聖霊様が働かれるので聖霊様に従おう、という気持ちになると重荷は軽くなって くるのだと思います。自分でしなければならないという気持ちが自分を苦しめる ことになるのですね。 祝福を祈ります。