今日の聖句 9月5日(月) 神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたを お入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのこと です。 1列王8:27 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語って いるとおりです。 使徒7:48 ***************************** 今週のテーマ:重荷 きょうの聖書:マタイ11:25-30 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたま しいに安らぎが来ます。 「重荷と祈り」 昨日は罪の重荷について書きました。重荷の種類は沢山ありますが、今日、呼び かけられている人は「すべて」です。生活の重荷、子育ての重荷、病気、借金、 律法主義と評価主義の重荷、自分が責任を負わなければならない全ての重荷など 考えてみれば私たちは様々な重荷の真ん中でもがいているのかも知れません。 幼児虐待についてのテレビ報道で加害者の70lは実母であると伝えていました。 自分で産んだ子だから自分でしつけていかなければならないと思う気持ちからで しょうか、そう簡単には子どもは親の思い通りにはならないものです。母親の心 に鬱積するストレスははかり知れません。 そして、律法主義と評価主義は強制的な圧力で人の心を支配します。圧力を掛け る人も、圧力を受ける人も、共に自分で責任を果たさなければならないという思 いに駆られているのです。しかし、私たちの人生の最終的責任は私たちの造り主 イエス・キリストが負ってくださるのです。 私たちは私たちの背負う重荷をイエス・キリストに委せることができます。イエ ス様はその重荷を引き受けてくださいます。重荷を下ろす方法、それが祈りです。 私たちがイエス様から学ぶ要点は祈りです。自分で負いきれない重荷はイエス様 に祈っイエス様にお委せしていくのです。そうすればたましいに安らぎが来ます。 祝福を祈ります。