今日の聖句 5月8日(日)

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。
詩篇62:8

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを
心配してくださるからです。
1ペテ路5:7

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今週のテーマ:聖書
きょうの聖書:ヨハネ5:31-40

ヨハネの福音書5章36節

しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに
成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行なっているわ
ざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているので
す。

「イエス様と聖書」

聖書とはそもそもイエス様を言い表す書物です。聖書はどこを切ってもイエス様
の真っ赤な血が流れると言い放った人もいるそうです。信仰の父アブラハムもエ
ジプトの宰相ヨセフも、ダビデ王もイエス・キリストを予表する型でした。

出エジプトも、バビロンからの帰還も悪と罪の奴隷になった人が、イエス様によ
って神様の前に立ち返ることの予表であり型でした。「聖書が、わたしについて
証言しているのです。」というみことばは、私たちの聖書に向かう心と目を決定
的にイエス様に釘付けます。

みことばを色紙や短冊に書いて壁に掛けたり飾ったりしますが、未信者が神社や
寺院の配るお札を拝んだり魔除けにするのとは違います。みことばによって心を
イエス様に向けるためです。みことばは私たちと私たちの心をイエス様に向けさ
せるのです。ディボーションはみことばによってイエス様を見、イエス様を知る
礼拝です。

私たちがイエス様を信じて聖書を読むと、聖書のみことばは私たちの心を吟味し、
心の中を照らし、罪を指摘し、素直な心で悔い改める思いを起こさせるものです。
イエス様を拒否して聖書を読んでも聖書の真の意味を理解することはできないの
です。

祝福を祈ります。