今日の聖句 4月21日(木) 見よ。わたしは彼らを溶かしてためす。いったい、わたしの民の娘に対し、ほかに 何ができようか。 エレミヤ9:7 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」 とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく 泣いた。 マタイ26:75 ***************************** 今週のテーマ:イエスの十字架 きょうの聖書:ヨハネ19:1-16 ヨハネの福音書15節16節 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。 「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイ ザルのほかには、私たちに王はありません。」そこでピラトは、そのとき、イエス を、十字架につけるため彼らに引き渡した。 「人の罪のため」 1節から16節までに十字架刑が決まるまでの裁判の様子が記録されています。裁 判長である総督ピラトによって繰り返し、イエス様の無罪が語られますがユダヤ人 達は声高に「除け。除け。十字架につけろ。」叫び、遂にイエス様を、十字架につ けるため彼らに引き渡してしまいました。 この群衆の要求に応えなければ暴動になりローマから統治者としての責任を問われ ることになるという恐れがビラトの心にあります。イエス様が徹頭徹尾反ユダヤ教 の立場を取っていたので、ユダヤ人達にはイエス様を抹殺して自分たちの立場を守 らなければならないという自己保身に踊らされています。 ここに人間の持つ原罪があります。自己中心であり、自己保身であり、真理よりも 自分の身の安全を優先する、人間の弱さです。人の罪のためにキリストが十字架に 掛けられたと言いますが、ここを見ると確かにそうだなあと実感します。 自分の心と人格がこの自己中心によって固まっている事実に気がつくと、私たちは 絶望のどん底に落とされるのですが、その中で、キリストが私に替わって十字架で 神のさばきを受けてくださったのだと信じるとき、私たちの心に救いがもたらされ るのです。 祝福を祈ります。