今日の聖句 4月1日(金) 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばした 詩篇 77:2 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまで もそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 ルカ18:7 ***************************** 今週のテーマ:信仰による義 きょうの聖書:ガラテヤ2:15-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに 十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうち に生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のため にご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 「律法に死ぬ」 律法主義というものがいかに信仰の妨げになるか、パウロはつくづくそれを経験し たのだと思います。パウロ自身が徹底した律法主義者だったのです。律法主義と信 仰生活はとてもよく似ていて、信仰生活の中に律法主義が忍び込み、純粋な信仰を 破壊していくのです。 パウロと律法主義は切り離すことができませんでした。パウロ自身が律法主義その ものだったともいえるのです。その為、パウロはキリストの恵みを知らず「救い」 或いは「義認」の喜びを得ることができずに苦しんだのです。 そんな時、復活したキリストはクリスチャンを迫害するパウロ(サウロ)にご自身を 示し、十字架の死と復活による救いへと導いていきました。律法主義から離れられ ないパウロは、律法に対して死ぬという手段を選択しました。神に生きるためにで す。死者に対しては何者も力を発揮できないからです。 律法に対して死んだパウロの心の中には、よみがえったキリストが神の義を携えて 生き生きと生きているのです。これがパウロのキリストへの信仰の結果です。律法 主義とは形式主義ともいわれます。私たちも形式主義に死に、形式主義を脱却しな ければならないのです。形式主義には義はありません。 祝福を祈ります。