里山体験こそが、生命を理解するキーワード

書評:『謎とき昆虫ノート』

矢島 稔著 NHKライブラリー

『謎とき昆虫ノート』


 
 
環境問題で社会がゆれ始めたとき、具体的な野生種への対策に応えられたのは、フィールドワーカーであったし、今後も市民にヒントを出せると思う。

 二十一世紀の情報媒体の著しい進歩には目を見張るが、結局バーチャルな映像では生命を理解させることは不可能だと思う。野山で生きものに接するという原始的な行動を起こしてもらいたい。

 この文章を読んで、著者の気概を感じると共に、同時に次の一節をを思い出しました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「いまごろは、ライフサイエンスなどという言葉と共に、生物学もようやく見直されつつあるが、しかし、遺伝子であるとかDNAであるとかいった極微の世界を通じて、どんな自然観が生まれてくるのか。

 世の中には一生実験服をまとうて、実験室外に出たことのない人もいる。動物や植物の自然なままの姿など一度も見たことのない高名な学者もいることだろう。

 そんな人たちの持っている自然観と、生涯をフィールド(自然)の中でくらしてきた私のようなものの自然観とが、一緒にされてたまるか、と言う気持ちは今でも、『底流』かどうかしらぬが、どこかにくすぶっている。
(自然学の提唱:今西錦司)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 また、次の文章を読んで、さらに次の一節を思い出しました。

 しかし大切なことが一つある。それは時間的棲み分けである。前に述べたように、樹液は分泌量が日変化する。この多量な時間帯(夜間)に、大型甲虫やスズメガなど何種類かのガが占有し、種間又は個体間の争いが展開する。

 しかし日中は、小型甲虫や非力なチョウ、アリ、ハエなどが集まって、同じ場所を時間的に分け合い、それが種ごとの日周活動性によって保たれていると言える。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それから生物全体社会を見ますと、ここでは棲み分けが行われている。種社会というのは多少オーバーラップしているところもありますけれども、原則的に言えば棲み分けしているんです。お互いに。だからここでも争いは起こらない。棲み分けの縄張りに入ってこない限りは。またそういうことはしないことになっている。
(自然学の提唱:今西錦司)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 著者の言いたいことは、あとがきに集約されています。

 生きるものをただ採れば良いとはいわないが、五感で認識したい欲求が特に子供の時にはあって、それが生きることを実感させ、自然観が変わると思う。

 そっと虫を持つ思いやりは行為をともなわなければ自覚できないはずだから、子供の自然な行為を制止しないで欲しい。

 皆さん、ぜひ、ご一読ください。 
 

注):大辞林 第三版の解説

すみわけ【棲み分け】

〘生〙 生物界の構成原理として今西錦司が提唱した概念。近縁の二つの生物種が同じ地域に分布せず,境を接して互いに棲む場所を分けあって生存していること。生存競争による自然選択というダーウィンの進化論に対する批判の意味をもつ

 


b-home3.gif (768 バイト) トップページへ