《 ずぼらに管理することの大切さ! 》

書評:『里山の自然をまもる』

石井 実 植田邦彦 重松敏則 著       築地書館

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『里山の自然をまもる』 

 これまでにも、いくつかの書籍の紹介をさせてもらいましたが、本書はそのなかでも堅い部類の本になると思います。
しかし、これまでにも増して、一度は読んでいただきたい本のひとつなので、寸評抜きで本書の中から特に重要なポイントと思われる箇所をご紹介することによって、書評に代えます。

 「里山を守る」というと、現在残っている里山に線引きして手をつけないようにする「天然記念物的発想」か、「造園的手法」で自然公園を造成・維持することをイメージしやすい。しかし、大切なのは「里山の多様性に富んだ自然を守るという視点である。いわば、「里山的管理」から「生態学的管理(エコロジカル・マネージメント)」あるいは「モザイク管理」への発想の転換が必要ではないだろうか。

 里山の生物を保護する場合、天然記念物に指定するやり方にはいろいろな問題がある。まず第一に、雑木林にせよススキの草原にせよ、里山の植生は遷移系列にあるので、立ち入りやその生物の採取を禁止しただけでは、生息環境そのものを良好な状態に維持することはできない。何もしないで放置すれば、雑木林は照葉樹林へ、人里草原もブッシュ化し疎林への遷移をはじめ、変貌してしまうからである。植生が変化すれば、それに依存する生物の相も当然変わってしまう。

 要するに、自然は天然記念物的発想で守れるような安易な対象ではないのであって、遷移途上にある生態系は、ひんぱんに手を加えて維持しなければならない。しかし、だからといって、林床の下草をきれいに刈り、倒木や朽ち木を除去し、落葉を必要以上に掃き取ってしまうのは問題である。ササ類は、チョウ類の
寄主植物であり、倒木や朽ち木は、多数の甲虫類が利用し、落葉層には無数の小生物が棲んでいる。
どんなものにも、必ずそれに依存する生物がいるくらいに考えたほうがよいだろう。

 言うは易く、行うは難しであるが、一口にいって、生態学的な配慮のもとに「適度に管理する」という姿勢が大切なのではないだろうか。「いいかげんに管理する」といったほうが理解しやすいかも知れない。

 もっとも恐れるのは、都市部における自然復元の「工法」が里山の管理に持ち込まれ、むりやり資金を投入して整然とした「里山公園」が造られることである。里山の自然は人為の加わった半自然ではあるが、農民は決して自然を「改造」したのではなく、利用することにより維持してきたのである。多種多様な野生生物が守られてきたのはその結果である。

 里山の自然を守るにあたっては、改造するのではなく維持するのだというスタンスを保ちたいものだ。


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