「里子攻撃の本質を考察する 」

本文、画像:Jimmy


 里子について、当方の考え方をご説明させていただきます。

 たとえば、長年のクワ友であるヒラタの鉄人さんの場合を例に取ると、余ったムシは欲しい人がいれば、ネット上で初対面の人であっても、基本的に里子に出すことを躊躇されないようですが、当方は今年から余程のことがない限り、気心の知れた人や、これまでに里子交換した実績のある方にしか出さない方針に転換しました。

 以前は、当方も鉄人さんと同じような考えを持っておりました。しかし、ネット上で知り合った親しいクワ友の方々から、「せっかく送っても、お礼のメール一つ出して来ない人や、好意のつもりで余分に送ったにも関わらず、『こんなにいらないのに、よほど余っているのですね。』」等という、心ない返事をもらったりしたことを聞いたことがあります。更に、「自分でムシを買うのはバカらしい。ただでもらえるのなら、それに越したことはない。」と考えて里子を希望する人もいるようです。

 「もう、二度と里子には出さない!」と、カンカンに怒っておられるのを昨日のことのように思い出します。当方もそれほどではないにせよ、よく似た体験を幾度となくしておりまして、その気持ちは良く解るつもりです。鉄人さんですら、そのことに関しては十分に承知された上で、今も里子に出しておられるのが現実です。鉄人さんはもちろん、里子を出す人はすべて同じ気持ちだと思いますが、増えすぎて持て余すから里子に出すのではなく、相手を信用しているからこそ、大切な成虫や幼虫を送るわけなのに、何か勘違いをされている人が多いように思えてなりません。

 そのような経緯もあって、今年から無差別に里子を出すことを原則として止めることにしました。しからば、増えすぎたムシはどうしているか疑問に持たれるかと思いますが、全て飼育するように努力しています。外国産はもちろん、国産のクワガタについても野外に放したりしません。このような状況下では、ゼリーやマット交換が間に合わず、死亡する個体が続出し、無計画に増やしすぎた飼育者である当方の責任そのものが問われております。かと言って、里子に出したからとしても、その罪から逃れられることはできません。

 飼育ケースの中でエサを与えられずに死んでいるクワガタを見るにつけ、自分の犯した罪の深さに反省し、後悔する日々を過ごしております。計画通りに行かない累代飼育であっても、自己完結できる飼育を心がけ、いたずらに里子に出すことがないような飼育を心がけることが、クワガタに限らず趣味として生き物を飼育する人の責任だと痛感する次第です。

 「里子は、いただいた以上大切に飼育し、殖えたら倍にして里親に返す。」と言うのが私の基本的なスタンスです。しかし、能力不足でそれが実現不可能な場合も多々ありますし、里親が返却を断わられる場合もあり、現実は理想通りに行きません。

 結局、欲しいムシは自分で買えば済むことです。もったいないと思った時点で、そのムシを飼う資格はないのです。趣味とは、そう言うものではないでしょうか。「里子でもらえれば儲けもの!」と言う考え方は、非常に貧しい心の叫びに聞こえます。

 自分で買えば、自ずと飼育にも力が入るでしょう。でも、ほんとうは里子であっても同じでなければならないばかりか、それ以上に気を使わねばなりません。相手がわざわざ自分の飼育ケースからムシを取り出し、送付用ケースに詰め替えて梱包し、送り状を書き、集配場に持って行くという行為は一見単純に見えますが、たいへん手間がかかっています。その気持ちを考慮しないのは、相手に対して失礼だと思います。

 私の場合、欲しいムシである各地方の国産ヒラタクワガタは、市場価値がないと一般的に考えられているのか、ショップで目にすることが非常に困難です。よって、なおさら里子でいただく個体が如何に貴重で大切なものであるか、お解りになってもらえると思います。

 里子攻撃を受けられた方は、それを名誉だと思って相手の厚意に報いるよう、最善の努力を払わなければなりません。たかが里子、されど里子です。

 


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