《 虫屋はアナーキーか! 》

書評:『三人よれば虫の知恵』

養老孟司 奥本大三郎 池田清彦 著  洋泉社

表紙

『三人よれば虫の知恵』


 今回は、前回までと違って気楽に読める本を紹介します。
すでに読まれた方も多いと思いますが、各著者は虫屋の世界なら知らない人がいないと思うほど、そうそうたるメンバーで、養老孟司氏は前東京大学医学部教授、奥本大三郎氏は仏文学者で埼玉大学教授である傍ら、日本昆虫協会会長、池田清彦氏は山梨大学の生物学の教授です。
これだけのメンバーが集り虫の話をするので、さぞかし難解な鼎談が繰り広げられたと思いそうですが、そこはさすがにその筋の強者の集まり。読んでいて目から鱗が落ちるような思いにかられます。

 ほかの趣味の人はどうか知りませんが、『虫好き』は本能的な人が多く、好きになった理由など特になくて、気がつけば虫を集めたり、追い掛け回しているような人が一般的なようです。おまけに、『虫好き』は規則に縛られたり、他人に拘束されるのが嫌いな傾向にあるようで、この点に関しても、まさにアナーキーと呼ぶに相応しいかもしれません。『虫好き』=『虫きちがい』と断言しても、さほど違和感を感じないのが不思議でなりません!

 それにしても、最近は虫の話が成立しない時代になっているようで、『虫が好きです』と人前で宣言して感心された人は、皆無に近いのではないでしょうか?
しかし逆に考えると、誰にでも価値観が共有できる趣味なんて、つまらないように思います。
もちろん、この世知辛い世の中ですから、一つぐらい共有できる趣味があって、適当に世渡りするには都合が良いと思うのですが、『本筋はこれ』といったものを一つは持っておきたいものです。
そうした、思い入れの深い趣味を持っている人同士であれば、その対象がたとえ虫とは異なっていても、楽しさを共有できるとともに、相手に敬意を持って接することができるものでしょう。

 本書では、いきなり『昆虫採集は自然破壊か』、といった本質的なテーマも議論されたようですが、『虫を採る人が増えたほうが自然保護になる』と言う先進的で痛快な意見が出ています。
虫を採ったことがない人は、本気で自然を保護する気にならないのが普通だと思うので、なるほどと感心させられました。
だいたい、人が採る虫の数より、鳥が食う虫の数のほうがはるかに多いと思います。
面白い例として、沖縄にいるオキナワマルバネクワガタは、人が採るより車に轢かれる数のほうが多いそうです。このような現実を正しく見極めるには、やはり野外に出て、自然を自分の目で見て観察することが、もっとも大切なことだと、改めて実感する次第です。要は、虫と自然保護に対する感受性の違いの問題なのでしょう!

 本来、クワガタムシが多数生息する雑木林等の環境は、人間が手を加えて維持してきたブナやナラなどの落葉樹が中心の2次林であって、放置するといつかは常緑の照葉樹林に遷移してしまいます。
それが、自然本来の姿であると考えることも、間違ってはいないと思いますが、二次林を維持することで、多様な動植物の生息環境が守られるのであれば、それもひとつの自然環境保護であることに、変わりはないと思います。都合のよい話ですが、虫と人間が共存できる環境作りがいま、もっとも必要な課題なのではないでしょうか。

 閑話休題で話は変わりますが、この虫好き三人衆の話題の中に、『南アフリカのクワガタを採りたい』等、そうとう怪しそうでかつ、楽しそうな話がぞろぞろと出てきておりました。
なかでも虫を食う話があって、アフリカではゴライアスの幼虫を煮て食べるそうです!
日本でも、幼虫を食う話はあるそうですが、腐食した木材や腐葉土を食べているクワガタムシやカブトムシは、堆肥の味がしてあまり美味しくないそうです。
どちらかと言えば、カミキリムシのような、生木を食べている幼虫のほうが美味しいとのことでした。皆さんも、是非一度試されてみればいかがでしょうか!

 本書には、この他にもファーブルの話やダーウィンの進化論の話題など、諸説異論入り乱れて興味ある展開もあり、そうとう読み応えがあると思います。
さらに、昆虫の多様性の問題から発展し、『ホルモンをコントロールして脱皮を遅らせ、1メートルのオオクワガタができるか否か』とか、クワガタ屋としてはたまらない内容の話もありました!

 一方、『虫屋の来し方行く末』と称して、60年〜70年代の虫屋の壮絶な生きざまを、感慨深く回想されているところには、ほろりとくるものがありました。
『月間むし』の藤田宏編集長の逸話も載っており、学生時代には、大学から自宅までの通学途中や大学構内でも昆虫採集を続け、学長から変人扱いされたそうです。とんでもない人ですね!しかし、なんとすばらしい話でしょう!だてに『月間むし』の編集長をされておられないことが、これでよくわかります!!
さらに、これまたクワガタ屋で有名な小田チンこと小田義広さんの話もあり、ガンで亡くなる直前まで昆虫採集を行っておられたそうで、『一年のうち、300日しか虫取りに行けませんでした。来年はもっとがんばります!』と、電話で話しておられたとのこと。こうなると、迂闊にコメントすることもできなくなるほど凄みがある話です。
しかしながら、そのころは虫を採っていて体を壊した人がいっぱいおられたそうで、山の中の無人のお寺や神社に野宿して、警察に連れて行かれた人なども数知れないとのことでした。
このような、とてつもない逸話のオンパレードです!

 一方、今でもよく言われていますが、『虫屋=罪人』と言う構図。『なぜ、虫の売買は罪悪視されるか?』と言う話。さらに、『虫屋は儲かるか?』などと言った生々しい話も出ていますが、その善し悪しについて、改めて考えさせられました!

 一通り読み終えてみて、とにかく虫好きの人のすごさを垣間見たような気がしました。
皆さんも、ぜひご一読され、今後の虫屋人生の糧としていただければ幸いです。
最後に、各著者の名言を記して、この書評を終わることにします。

「三人よれば文殊の知恵」と言うが、どうだろうか。
今回は三人よれば
馬鹿話と言う感がある。
読者はどうか知らないが、私は読み返しては笑う。

養老孟司

虫の色と形、そして生態の、とてつもない多様性を見ていれば、
人間の世界でチマチマしたうるさいことを言っているのなぞ、
アホらしくて仕方がない。

奥本大三郎

私に言わせれば、虫を”見る”快楽を放棄したまま一生を終える人は、ほとんどバカに見える。
もっとも、ほとんどの人が
バカな世の中では、普通の人はよくて変人、へたすりゃ変態、
ついには
キチガイと呼ばれるのである。

池田清彦


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