《 スタッグ・ビートルのヴァニティ 》

書評:『虫屋の落とし文』

奥本大三郎 著   小学館 



『虫屋の落とし文』


 昆虫好きで本好きの方なら、著者である奥本大三郎さんのことはよくご存知だと思います。かつて、ご紹介させていただいた『三人寄れば虫の知恵』の著者(他の二人は養老孟司さん、池田清彦さん)の一人でもあるのですが、フランス文学者でファーブル昆虫記の完訳者でもある、いわゆる文科系出身者だけあって、他の理科系の二人とは文体も違い、柔らかくて流れるような雰囲気が読んでいると伝わって来るのがよくわかると思います。

 私はいわゆるクワガタ好きであって昆虫全般に興味があるわけではありませんので、過去に一度しか読んだことがありませんでした。しかし、その中にも著者のセンスが良く伝わって来ると思われるクワガタに関する随想がありましたので、その一部分をご紹介して書評に代えたいと思います。きっと、皆さんも一度はご経験がおありなのではないでしょうか。思わず苦笑してしまいますが、最後は感心して終わると思います。

日本産のクワガタムシで、いちばん強く挟むのは、多分ヒラタクワガタで、マンディブル(おおあご)の先端の歯でぎゅうっとやられると、大人でも涙が出る。しかもこのクワガタはスッポンのようにしつこい性質で、なかなか話してくれない。「もう謝る、頼む、おれが悪かった」と祈るような気持ちでいても、そろそろ力をゆるめそうにしていながら、またぎゅっと締めつけなおす。やっと話してもらった指をつくずく見ると、ほとんど穴があきそうになっている。だから、重量が日本産の十倍以上もある、東南アジアのオオヒラタクワガタに本気で挟まれたら、いったいどんなことになるのであろう、と思う。
                        中略
 小さいけれど恐ろしいおおあごを持っているのは、肉食のハンミョウの類であって、この虫の口元を、虫眼鏡で拡大すると思わずぎょっとする。まさに肉切りの大ノコギリである。ハンミョウがアリなどに飛びついてグサリと噛みつくと、獲物の方は一撃で致命傷を受けてしまう。
                        中略
 肉食の虫というものは、やはりクワガタのように樹液だけ吸っている虫とは、本質的に違うところがある。

 英語でクワガタを雄鹿甲虫(スタッグ・ビートル)といい、ハンミョウを虎甲虫(タイガー・ビートル)と呼んでいるのは、実によく、その本質を捉えているものと思われる。
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 著者略歴 : 奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう) フランス文学者、東京大学文学部仏文学科卒、同大学院修了
 大阪芸術大学文芸学科教授、埼玉大学名誉教授、NPO日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長
 著書: 『虫の宇宙誌』、『ジュニア版ファーブル昆虫記』(集英社・全8巻)、『完訳版ファーブル昆虫記』、『当世虫のゐどころ』等多数


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