「戦う哲学者」中島 義道

書評:『私の嫌いな10の人びと』

中島 義道著  新潮文庫


『私の嫌いな10の人びと』


 
  私が著者のことを知ったのは、池田清彦氏の著作(エッセイ)を読んでいるときに、よく引用されていたからです。それで、一度は読んでみたいと、以前より思っていましたが、クワガタ飼育を本格的に始めてしまったことと、そのためにお金がなくなってしまい、本を買うのも家内の厳しい査定を通過しなければならなくなったため、なかなか読むことができませんでした。

 飼育の合間を見計らって、ようやく一冊読み終えたばかりなのですが、実に読んでいて恥ずかしくなる自分を再発見しました。 と言っても、それで自分の考え方が大きく変わるわけではなく、自分が知らなかった正しい人の見方を教えてもらえたと思っています。

 近年になくインパクトの強い内容に、ありきたりな言葉しか浮かんで来ない、自分のボキャブラリーのなさが恥ずかしい限りですが、人によっては毒にも薬にもなる 奥の深い本だと思います。 

 まだ、たった一冊しか読んでいないので、とても断定することはできないのですが、池田清彦氏も少なからず影響を受けておられるのではないでしょうか。

 事例を交えながら、平易な文体で書かれているため、誰でもすぐに読み切れると思います。

 ただし、このような書物を書けるのは、著者が超高学歴であるからこそ成し遂げられることであって、特に才能もないただの人が書くと、相手にもされないでしょう。それが世の中です。

 私は、この本を読んで、自分に対して自信を失っている人が、一人でも少なくなることを、祈って止みません。そうです。貴方が悪いのではなく、世の中がおかし く、歪んでいるのです。貴方は全面的に正しいことを忘れてはなりません。

 以下に、エッセンスとなる箇所をご紹介致します。

 1.笑顔の絶えない人

 笑顔の絶えない顔は、ひとえに努力の賜物なのです。笑うべきだから、それと知って笑おうとしているから、笑っている。しかも、そこに無理があってはならない。(中略)

 この国では、個人のむき出しの感情を嫌う。とくに、悲しいときに涙を流すこと、暗い気持ちのときに暗い顔をすることを禁じる。自分のマイナスの感情をそのまま表現することは、失礼なのであり、社会的に未成熟なのです。

 2.常に感謝の気持ちを忘れない人

 私が嫌いなのは、感謝の気持ちを忘れない人というよりむしろ、折に触れて「感謝の気持ちを忘れるなよ!」と高飛車に、あるいはしみじみとお説教する人なのかも知れません。

 3.みんなの喜ぶ顔が見たい人

 彼らは自分の望みがとても謙虚なものと思っている、という根本的錯覚に陥っておりながら、それに気づいていないからです。「みんなの喜ぶ顔が見たい」とは、なんと尊大な願望でしょうか!その願望は、結局は自分のまわりの環境を自分に好ましいように整えたいからであって、エゴイズムなのです。

 4.いつも前向きに生きている人

 「いつも前向きに生きている人」は、自分だけそっとその信念に従って生きてくれれば害は少ないのですが、おうおうにしてこの信念を周囲の者たちに「布教」しようとする。「いつも前向きに生きている人」は、とにかく「後ろ向きに生きている人」が嫌いなのです。

 こういう人は、「後ろ向きに生きている人」が目障りでしかたがない。(中略)後ろ向きに生きている人を見つけるや否や、全身で「布教」しようとする。(中略)

 日本国中の会社は「いつも前向きに生きている人」を望むようです。

 5.自分の仕事に「誇り」を持っている人

 正確に言うと、私は自分の仕事に、普通程度に誇りを持っている人が嫌いなのではなく、自分の仕事にセンチメンタルな生きがいと愛着をもっている人、しかもそれに何の自己反省も加えていない人に、漠然とした違和感プラス反感を覚えるのです。だから、「誇り」と括弧に入れたわけです。

 6.「けじめ」を大切にする人

 けじめを大切にする人は、いたるところにはびこっています。そのすべてが、極度に常識的な人、みんなが怒るところで怒り、みんなが笑うところで笑い、みんなが悲しむところで悲しむ人です。

 しかも、困ってしまうことに、けじめを大切にする人は、「けじめ」という言葉の意味を追求しない。ここだけは、けじめを大切にしないのです。

 7.喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人

 私はこういう人にこれまでの人生において何十人か出会ったことがありますが、彼らのほとんどは家庭環境を含め人生において喧嘩を避けつづけ、それがある程度うまく行ってきた人です。

 人間関係における彼らの第一原理は「対立がないこと」であり、これを成就することが最大の関心事なのです。

 8.物事をはっきり言わない人

 言葉にはっきり出して語ることは、見苦しいこと、野蛮なこと、無礼なこと、恥じたないことなのです。さらに、独特の倫理観もぴったり寄り添っている。はっきり言った者が責任を取らねばならない。みんなこの厳粛なルールを知っていますので、「あれ」が何か知りながら言わない。どちらとも取れる言い方、つまり「あれ」とか「例のもの」とか言って、その場を切り抜けようとする。

 9.「おれ、バカだから」と言う人

 「おれ、バカだから」と言う人って、実は本当にバカなのです。バカであることはその言動のすべてから明らかであるのに、話がややこしくなるとすぐこう言う。そして、窮地を逃れようとする。

 私は自分のことを「偉い」と思っている人はみんな嫌いだからです。前にも見ましたが、学者や技術者や作家や芸術家など一芸に秀でた者、あるいは官僚や大企業の重役や大学教授や医者や弁護士や公認会計士など、社会的ステイタスが高いとされる職業に就いている人のほとんどは、こう思っています。

 そう思わないように日々からだからその臭みを消していく努力をしなければならないはずなのに、そういう訓練を自分に課している人はほんの一握りであって、みんなごく素朴にいばる。

 10.「わが人生に悔いはない」と思っている人

 彼女は、心底「わが人生に悔いはない」と信じており、健康にも恵まれ、夫にも子供たちにも恵まれ、あとは、みんなの迷惑にならないようにぽっくり死ぬことができたら、と真剣に考えている。そこには、無理も技巧も何もない。人生、もうそんなに生きていたくないし、「お父さん」と一緒にお墓に入れればそれでいい。自分が死んだあと、家族そろってお彼岸にでもお墓参りに来てくれれば、言うことはない。

 こういう「普通教」の信者とも言うべき筋金入りの「いい人」が、私にとっていちばん苦手。とはいえ、こういう人は、イスラム原理主義者と同様、私とは異世界の住民ですから、そう信じて死んでもらうほかはなく、ただ私としては、厭だ、厭だ、嫌いだ、嫌いだ、と言いつづけるほかありません。 

著者略歴: 中島 義道(なかじま よしみち)
1946年、福岡県生まれ。 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
哲学博士

著書: 哲学の教科書、対話のない社会、孤独について、人生を(半分)降りる、私の嫌いな10の言葉、働くことがイヤな人のための本、人生に生きる価値はない、等
  


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