「 正義の人がぼくにはおそろしい

書評:『雑木林の小道』

森 毅著  朝日新聞社


『雑木林の小道』


 
  もう30年以上も前のことですが、数学者で京大教授の森毅さんのエッセイを、良く読んでいました。確か「**数学のすすめ」とか言う表題で、毎年のように出版されていたような記憶があります。

 それらのエッセイの根底に流れる森毅さんの考え方は、「とにかく無理にがんばらずに、ボチボチ生きたほうが楽しいよ」等に代表される、落ちこぼれの私にはすがりつきたくなるような内容でした。

 しかし、社会人になって10年ほどすると、その考え方は間違っているように思い始めたのです。間違っているとまでは行かないまでも、「ボチボチ生きて行こう」とする考え方は、もともと良くできる一部のエリートを対象としてることに気が付いたわけです。

 確かに、エリートはボチボチ生きていても、才能があるので、何とでもなると思うのですが、才能のない者は、ボチボチ生きていたら社会(又は会社)から置いて行かれることになるのです。

 そのような、ごく当たり前のことに気づかずに、むさぼるように森毅さんのエッセイを読んでいた私は、本当にバカで救いがたい人間だと思いました。

 森毅さんの著書はほとんど捨ててしまいましたが、本棚を整理してると、たまたまこの本が出てきたので、読み返してみました。

 結局、森毅さんは、自然、中でも人間の多様性を重視され、そのことを読者に伝えたかったのだと思いました。世の中は杉林のような管理された世界でなく、雑木林のような混沌とした世界であり続けて欲しいと思います。

 一文をご紹介して、書評に代えさせていただきます。

 雑木林には、さまざまな木が茂っている。そのあるものは、この雑木林にとって邪魔に思えることもある。しかしそれは、そこへ入る人間からの思惑で、やはり全体としての自然の調和があって、雑木林はあるのだろう。そうだから、さまざまな花が咲き、さまざまの虫が来る。

 人間はそこを杉林にした。むだな木は刈りとられた。木は整然と植えられ、何年かの後に刈り取られて、人間に利益をもたらすであろう。目的を持ち、計画された世界だ。しかし、そこにはもはや、さまざまの花は咲かないし、さまざまの虫もいない。
 

 


b-home3.gif (768 バイト) トップページへ