虫好きになるための基底の心的構造とは  》

書評:『昆虫のパンセ』

池田 清彦 著 青土社

kiyohiko_ikeda.jpg (4534 バイト)

『昆虫のパンセ』 


  人はなぜ虫を集めるのか。

 「そこに虫がいるから」と答えた人がいるかどうか分かりません。では自分自身はどうなのでしょう。私に限って言えば、「なぜか好きだから」と答えるのが適当かと思います。 だいたい、そのようなことをあらかじめ考えながら虫集めをしている人などいないでしょうし、聞いたこともありません。要は理屈ではないのです。気が付いてみれば人を好きになっているように、虫を好きになっていただけのことだと思うのですが、いかがでしょう。

 このように、理屈がないと思われる虫集めに見事なほど明解な回答を提供されているのが、この本の著者である池田清彦さんです。読んでみれば見るほど、「なるほどそうだったのか。俺の虫集めの根底には、このような心的構造が形成されていたのか」と、納得させる説得力を持った一冊だと言えるでしょう。

 著者によると、人が虫を集める行為とは、「多様性への憧憬」、または「多様性への欲情」とでも表現すべきものであり、さらにはそれが「完璧性への欲情」へと必然的に変化してゆく一連の流れとして説明できるそうです。また。集めるものが切手のようなものでなく虫であることの違いは、予測性と予測不可能性の違いであるということ。つまり、虫集めには人工物を集めるのとは違った予測不可能性と言うロマンチシズムが漂っていると著者は解説していますが、なるほど確かに思い当たる節がありますよね。

 さて、虫好きになるための基底の心的構造とは具体的にどのようなものなのでしょう。それは、おそらく数センチ前後の複雑な形態の内に、言語化できない秩序を見つけだす能力のことだそうです。

 どうでしょう。まさにその通りだと思いませんか! 

 他にも、昆虫マニアに対する明快な見解など、読めば読むほど自分が昆虫マニアであることを誇らしく思えてくるでしょう。

 最後に、印象に残った素敵な言葉をご紹介したいと思います。

「世の中には二種類の人間がいる。虫屋と虫屋以外の人だ」

 ぜひとも、ご一読されることを希望いたします。

  


b-home3.gif (768 バイト) トップページへ