大量飼育するようになった訳を考察する  》

Jimmy


 コクワガタ1頭から始まったクワガタ飼育が、何時の間にやら7年目を迎えております。おかげさまで年々飼育数が増え、今では2〜3百頭の幼虫と成虫に囲まれながら生活するようになりました。

 クワガタを飼育していない人はもちろん、飼育している人からでさえ、「どうしてそんなたくさん飼育し続けているのですか。時間も取られるし、金銭的にも大変でしょう。」と言う、同情とも憐れみともつかぬ言葉をかけていただくのが常になりました。

 確かにその通りで、決して楽ではありません。と言うより、正直言ってほんとうに大変です。今でこそ大量飼育に慣れてきたため、それほどでもなくなりましたが、時には苦痛に感じ、「いっそのこと止めてしまおうか」と考えたこともありました。

 「じゃあ、飼育数を減らすために何らかの対策を取ればよいのでは?」との素朴な疑問を持たれることと思います。里子に出すのもよし、プロに引き取ってもらうのもよし。標本にしてしまうのもよいでしょう。計画的にペアリングを制限、もしくは中止すると言う方法を採れば、自然に減少して行くのは自明の理です。

 このように、いくらでも数を減らす方法はあるにも関わらず、飼育数が減らない原因は私のケチな根性と共に、幼い頃のクワガタに対するトラウマがあるからではないかと考えております。少し話が長くなりますが、おつき合いください。

  私が小学生の頃、夏休みの最中や終わりになると、友達が田舎に帰ったときに捕まえてきたカブトムシやクワガタを持ってきて、お互いに自慢しあっていました。しかし、残念ながら私にはそのような田舎はありませんし、近くにカブトムシやクワガタムシが採集出来るところなど知る由もないので、いつもその光景を羨ましく見つめていました。

 「自分も一度はカブトムシやクワガタを捕まえてみたい」。そのような思いを抱いて、父や母に昆虫採集に連れていって欲しいと毎年のように交渉し続けていましたが、両親もそのような経験がないため、さてどこに連れて行けばよいのやら解らなくて困っているのが実状でした。

 子供心に、「それなら、どこで捕まえてきたか場所を教えてもらおう」と思い、友達に聞きまくりました。ところが、所詮は小学生です。気安く教えてくれるのは良いのですが、漠然とした地名を話してくれるだけで、正確な場所が皆目わかりません。

 それでも、必死になって聞き出した地名を覚え、家に帰ってから地図帳で場所を確かめたりして、場所の確認に努めました。そうして、何とか夏休み中に母親に無理を聞いてもらい、採集に連れていってもらえることになったのです。

 朝早く、大阪駅から国鉄(現在のJR)の急行電車に乗って、1時間以上もかかってたどり着いたところは、見ず知らずの田舎の駅です。周りには、雑木林ひとつ見当たりません。車もない、地図も持たない親子連れには、これ以上どうしようもなく、途方に暮れるしかありませんでした。

 結局、駅の近くを数時間歩き回っただけで、二人ともヘトヘトになって疲れ果て、お昼過ぎの電車に乗って、さびしく帰ってきたのを今でも昨日のことのように覚えております。それ以来、母親も私も懲りたのか、カブトムシやクワガタを捕まえに行こうとは二度と言い出すことはありませんでした。時が経って、私の採集熱もすっかり冷め、不本意ながら虫取りは完全に卒業したと思われました。

 それが7年前の夏のある日、嫁さんと近くにある自然公園をハイキングがてら散歩していたとき、ふと足下を見ると小さいけれども見覚えのあるコクワガタのオスがいるではありませんか。何年ぶりに本物を見たことでしょう。思わず手に取って、時の経つのを忘れるほど感動しながら眺めていました。普通なら、そのまま元のところに返してあげればよいものを、何を思ったのか無性に持って帰りたくなり、ビニール袋に入れて自宅まで持ち帰ってしまいました。

 帰ったその足で近くのスーパーに直行し、即座にクワガタ飼育セットを購入しました。こうして生まれて初めてのクワガタ飼育が始まったのです。その後はみなさんもよくご存じの通りで、ご説明することもないかと思います。

 幼少期に果たせなかったカブトムシやクワガタに対する強烈な執着心と共に、ようやく満たされたクワガタ飼育生活。「この充足感を何時までも維持し続けたい。また昔のように、クワガタをひたすら追い求める辛く悲しい時代には戻りたくない。油断したら、累代できずに絶えるかもしれない。」と言う恐怖感。このプレッシャーから逃れるには、大量飼育し続けるしか良い方法が見つからない。しかしながら、そのことを本人は自覚することなく、気が付けば現在のような状況に陥って抜け出せない。というのが偽りのない姿ではないかと自己分析しております。

 時代は変わりました。今では、外国産の珍しいカブトムシやクワガタでさえお金を出せば、いくらでも手に入る幸せな時代です。飼育に失敗してクワガタがいなくなったとしても、補充することは容易になりました。何も無理して手元にたくさん飼育しておく必要などありません。死んでしまえばまた買えばよいのです。異論のある方もおられるかも知れませんが、そう言う割り切った考え方も時には必要だと思いますが、いかがでしょうか。

 私と同年代でクワガタ飼育をされておられる方は、幼い頃には昆虫少年、あるいは昆虫博士だった人が多いのではないでしょうか。自力で採集したことはもちろん、今日ほどではないにしろ飼育も手がけられた経験を持っておられることと思います。そうした経験がある方は、私のようにクワガタが手元からいなくなる事に対する恐怖心もなく、余裕を持って採集や飼育を楽しんでおられるはずです。

 それが本来の姿に思えてなりませんし、趣味は楽しまなくては意味がありません。人それぞれ価値観も異なると思いますが、外国産の珍しくて立派な種類を少数精鋭主義で飼育する人もいれば、私のように国産普通種を好んで大量に飼育する人もいる。それで良いのだと信じながら、家族に迷惑をかけないようにすることと、自分の健康維持に十分注意しつつ、明日からもこうして飼育を続けて行こうと思う今日この頃です。


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