《人は怠けるようにセットされている

書評:『ナマケモノに意義がある』

池田 清彦 著 角川書店

『ナマケモノに意義がある』


  「ナマケモノに意義がある」と言うこの本のタイトルを見て、家内は嫌な顔をしました。まあ、真面目な(と自分のことを自己評価している)人ほど、家内と同じようなリアクションをするのではないかと思います。

 私も会社勤めをするまでは、家内と同じ考えであったと思います。しかし、勤務年数も25年を超え、年齢も50をゆうに過ぎた今、その考え方は間違っていたことに気が付きました。

 「誰にしたって、多かれ少なかれ、苦い水の味を知っているよね」、と言う吉田拓郎の歌詞にもあるように、挫折感を味わったことがない人な、ほとんどいないと思います。そうした体験を持つ人には、一度こんな考え方もあるのだということを、知ってもらいたいと思います。

 そうでない人は、敢えて読む必要もありません。単に、時間のムダだと感じるだけだと思うので、文句を言われないように、前もって断っておきます。

 もちろん、全ページに渡って読んでいただくことが、本書のテーマである「怠け」のすすめの真の意味を理解する近道だと思いますが、特に印象に残った箇所をご紹介して、書評の代わりとさせていただきます。


「人は怠けるようにセットされている」

 ・労働をはじめたばかりに人間は不幸になったのではないかと私は思う。世間は働くことに生きがいを見出せ、喜びを見出せと煽るが、あまり真に受けないほうがよい。

 働くことに生きがいも喜びも発見できない人は努力が足りないか、能力が足りない欠陥人間だという言説は、単なるフィクションなのだ。ひどい話である。「仕事を通して自己実現する」はすべての人に当てはまる命題ではない。



「あなたには無限の才能がある!」というウソ

 ・努力をしてそれまでできなかったものができるようになった。そんな努力のプロセスを感動的に取り上げる新聞やテレビや雑誌がある。
「人には無限の可能性がある」とか「能力って無限なんだ」という物語は人をいい気持にさせてくれる。
 
 だが、身も蓋もない話だが、そもそも人に無限の可能性や無限の能力などない。100mの短距離走を専門家の指導を受けていまより1秒早く走れる可能性なら、多くの人が持っているだろう。でも、ウサイン・ボルトのように早く走ることはどんなに頑張ってもできない。9秒台で走るなんてことは通常人の能力の限界をはるかに超えているのだ。



「人生に生きる意味などない」

 ・生物学的に見れば人生に生きる意味などはない。(中略)成長して子どもを産み、老いて死ぬ。生物というのはすべてただそれだけの存在であり、人間も例外ではないのだが、脳が大きくなった人間は、どうしても人生に意味を見出したくなってしまうものらしい。(中略)

 怖いとか、命が惜しいとか、生きる意味といったものは何もなく、ただ生きているだけ。非情という言葉すら入る余地がない。虫のそんなところは本当に偉大だなと思う。


 カブトムシ、クワガタムシを飼育しておられる皆さん、彼らのある種の潔さみたいなものは、学ぶに値するかも知れません。
 

b-home3.gif (768 バイト) トップページへ