自然の復権

書評:『今西錦司語録』

市川良一 著  柊風舎


『今西錦司語録』


 
  本書の最初に、総合地球環境学研究所の斉藤清明氏が触れておられますが、「すみわけ」(棲み分け、棲みわけ、住み分け、住みわけ、すみ分け、とも表記される)という言葉が、新聞や雑誌、テレビ等で、一般的に大変よく利用されていることが目に付きます。

辞書類を見ても、『日本語大辞典』(講談社)では「すみわけ: 生物学者の今西錦司が提唱した語。互いに似た生活様式を持つ2種類以上の生物が、活動時間や住む場所をうまく分け合って共存している状態」と記載されています。もちろん、『広辞苑』(岩波書店)にも載っているので、お持ちの方は一度参考までに、ご覧になってみてください。

  この今西錦司語録が出版されたのは、2008年10月ですので、今からもう5年ほど前になります。当時、そのことをまったく知らなかったのは、私が体調を崩し気味だったこともあって、本を読むことはもちろん、探すどころではありませんでした。

 結局、本著を知ったのは昨年の秋ごろだったと思います。しばらくの間、今西錦司氏に関する書籍が出版されていなかったこともあり、いよいよ学会のみならず、世の中からも忘れ去られようとしているのかと、やるせない思いを抱いていた頃でした。

、同時に、私の体調が徐々に回復傾向にあったことに加え、大阪市内まで出て行かなくとも、今はネットで購入できる便利な時代ですので、さっそく注文して読んだ次第です。

 今西錦司氏は、文化人類学者、生態学者、また、ニホンザルに関する霊長類の研究者としても有名ですが、著名な登山家でもありました。最近は、中高年の登山ブーム、山ガールの出現に見られるように、登山が一種のブームのようになっておりますが、果たしてその中で幾人の人が今西錦司氏の名を知っているのでしょうか。

 北アルプスの名峰、剣岳(2999m)の源次郎尾根を、1925年7月9日に初登頂したのも、京大山岳部の今西、渡辺両氏であり、日本百名山にも登場する、北アルプスの薬師岳(2926m)に登られた方ならご存知かと思いますが、東面の黒部峡谷上の廊下に面した最も北側にある大きなカール(氷河地形)の一つである、金作谷カールの命名者でもあります。(案内人宮本金作氏の名前が由来)

 今西錦司氏は、このように登山と言うこれ以上申し分のないフィールドワークをを通じて、自然の成り立ちを体感し、研究に生かした非常に優れた学者でありながら、大学卒業後は人文科学研究所教授になるまで、京大で無給講師として、何十年も働いてこられたのです。(本人に言わせると、働いていたのではなく、自分のしたい登山、探検、研究活動をするために、単に大学を利用してやっただけと公言されていますが。)

 本書にも書かれておりますが、今の時代、無給講師などという身分が果たしてあるのでしょうか。そんな職種を認めたら、労働基準法違反で罰せられると思います。いくら国立大学法人と言えども、今では絶対にあり得ないでしょう。それを可能にした、当時の京都帝国大学の懐の深さと、それに長年耐えてきた今西錦司氏の気力と精神力、それに財力は、何人も計り知れない苦労があったと思います。

 登山家、文化人類学者、思想家、哲学者として、数々の名言を残して来られた今西錦司氏。本書の著者である市川良一氏は、言うまでもなく今西学派の総帥であり、今西錦司氏が残した膨大な著作や論文の中から、後世に伝えていきたいと思う珠玉の名言を、「今西錦司語録」として、解り易く解説を加えながら、紹介すると言う労作を残されました。今西ファンとしては、非常に興味深く、かつありがたい著作です。以下に、その中でも特に、自然保護に関するものをご紹介させていただきます。


 自然保護ということばの中には、自然などもはやほっておいたら、人間の力によってめちゃくちゃになってしまわないとかぎらないから、この弱い、哀れな自然を、すこしは保護っしてやりましょうといった勝利者人間の思いあがった気持ちを押しつけるようなところがある。

(「自然と山と」)



 私は自然を闘争に明け暮れているものとは思はない。自然の秩序、自然の調和、自然の平衡などと呼ばれることは、すべて自然の完全さを表現して、自然は完成しているがゆえににわかには変わらないものだと思っている。

(「私の自然観」)


 自然科学的自然だけが、唯一の自然ではないのである。そのほかに、もっと大きな全体としての自然、もろもろの生物の共存できる広い場としての自然をも同時に認めてゆこうというのが、私の考えである。

(「自然学の提唱」)


 人間には一面で安定を求める心がある。安定の予約されない、無限に続く変化に、はたして社会一般の人間がついてゆけるだろうか。

(「自然と山と」)


 すでにいろいろな危機の到来が叫ばれているけれども、もとをただせば、それは人類がこの直観ということを軽視しだしたことによるのではなかろうか。

(「人類の周辺」)


大学というところは、天下の浪人をかかえておくぐらいの、ゆとりをもってほしいものである。

(「私の自然観」)


締めくくりとして:

 著者が、読者に伝えたいことであったと思われる一文を最後に紹介して、書評に代えさせていただきます。
もちろん、私のこの意見に全面的に」同意するものですが、それは現代の社会認識に反する、誰しも心の中でわかっていても、表だって言ってはいけないこととして、認識されているのでしょう。会社でも、学校でも。

 実に情けないことです。これでは、とても明るい未来が開けるとは思われません。


生まれつき才能がある人間は、どこに置いても伸びるんやな。

(「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」)


 戦後日本の教育は、個人尊重と悪しき平等主義に重点を置いたため、才能の個人差ということには目をつむる傾向にあった。かの入試地獄といわれた現象の大半は、能力がなくても無理やり勉強させれば才能のある人間に追いつけるはずだという、庶民の無邪気な信仰によるところも大きかった。

 機会の平等を一応保障された多くの若者が、自分の能力をかえりみることなく、結果の平等を求めて突っ走り、悪戦苦闘したのである。機会の平等が結果の平等にすりかえられて、進学ブームが予備校や学習塾の繁昌をもたらしてきた。

 それらの補習組織が、誰でもやればできると若者たちに信じ込ませて、彼らを苦しくいやな勉強に追い立てていった。ここで思い起こすのは、近頃はやりの「ネバー・キブ・アップ」とか「絶対にあきらめない」といったことばである。

 この種のことばをしきりに語っているのは、多くの場合、あきらめずに何事かを愚直に追及して、
たまたま望む結果が得られた幸運な人たちである。その陰では、この過酷なモットーを真に受けて悲劇的な結果に終わった万骨が積み重なっている。

 わたくしは、非合理的な一面を持つ、このようなモットーを声高に叫ぶことを好まない。成し遂げようとする仕事に本来的に向いていない、
必要な資質に欠けた者までが、おうむ返しのように「わたしは絶対にああきらめない」とくり返し叫んでいるのを見ると、寒気がしてくる。「貧鉱にいくら資本や労力をかけても貧鉱は富鉱にはならへん」(今西錦司氏)

 この論点に関しては、池田清彦氏も、著書「ナマケモノに意義がある」で、以下のように述べられています。

 そもそも人に無限の可能性や無限の能力などない。100mの短距離走を専門家の指導を受けていまより1秒早く走れる可能性なら、多くの人が持っているだろう。でも、ウサイン・ボルトのように早く走ることはどんなに頑張ってもできない。(ナマケモノに意義がある」池田清彦 より引用

 「あきらめない」信仰の行き過ぎと、その非合理な一面を考えるとき、「生まれつき才能がある人間は、どこに置いても伸びるんや」と、開き直りたくもなるものである。

(中略)

 現代はすぐれた個人の独創性が求められる時代である。それぞれの分野ですぐれた才能が自由に伸びていける環境が求められていることは言うまでもない。しかし、一方で
真に才能のある者であれば、社会的条件の如何にかかわりなく、その才能は伸びてゆくものだという事実を冷静に認めることも重要なことであろう。



追記:
上記に述べられた、ごく当たり前の真実が、今だ持って実行できないのは、この世の中が、「嫉妬」で成り立っているからであると私は考えます。このことについて、論理的に詳しく説明されているのは、精神分析の立場に立つ思想家である岸田秀の著作「嫉妬の時代」を読まれると、よく理解できるのではないでしょうか。何時か機会があれば、またご紹介させていただきたいと思います。


著者略歴: 市川良一(いちかわ りょういち) 1933年埼玉県生まれ。 京都大学農学部農林経済学科卒
航空自衛隊幹部学校教官 防衛省防衛研究所勤務(戦略・安全保障担当)
 


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