リアルな富士の姿がここにある

書評:『俗界富士』

藤原新也 著  新潮社


『俗界富士』


 
  富士山を初めて見たのは、中学3年生の修学旅行でした。もう38年前になります。
それから、一年後の高校1年生の時に、初めて富士山に登りました。当時の記憶はさすがに薄れて来ていて、おぼろげながらにしか覚えておりませんが、新幹線で三島まで行き、そこからバスで5合目に到着し、8合目まで登ったところで夜の8時頃になっていたと思います。

 8合目の小屋で一泊し、翌日の早朝に登り始めて無事に山頂までたどり着きました。どこで御来光を見たのかは、まったく記憶がありません。頂上を一周する「お鉢巡り」をして、3776mの剣が峰で記念写真を撮りました。しかし、一番感動的だったのは、富士山測候所を目の前に見た時でした。 

 今でこそ、気象衛星のおかげで、日本の天気予報は精度が飛躍的に向上しましたが、まだ衛星がなかった頃は、この富士山測候所のレーダーだけが唯一の切り札でした。秋の台風の進路、冬の豪雪など気象災害を事前に予測するには、富士山測候所が唯一の頼りだったのです。

 富士山測候所の建設については、新田次郎の著作を読んで頂ければ詳しく書かれておりますので、ぜひ一度ご一読ください。

 話がそれましたが、それから37年が過ぎた今まで、もう一度富士山に登ろうと言う気持ちは一度も起きませんでした。幾つか理由があります。その一つは、高山病と呼ばれているいわゆる山酔いに悩まされるからです。

 3000mを超えて来ると、やはりそれまでとは違って、気がつかないうちに息苦しさを感じていたり、頭痛や吐き気が襲って来たのを今も覚えております。これは結構辛いもので、標高の低いところまで下山すれば、ウソのように治るのですが、頂上付近に1〜2時間いると、私のように基礎体力というか心肺機能の低い人は、確実に高山病になると思います。その時の苦しかった記憶が今も脳裏に焼き付いているため、もう二度と登るまいと思いました。

 もう一つの理由は、それほど景色が良いとは思えなかったからです。ご存じのように、富士山は休火山なので、山肌は溶岩と火山灰でできており、5合目から上は完全にモノクロの世界です。

 遮るものがないから、遠くの景色はよく見えそうに思えますが、登山シーズンである7月〜8月末までは雲がかかりやすく、午後からは霧が出て意外と景色が見えないものです。私は昔、山登りが好きでよく北アルプスの剣、立山、槍、穂高に何度も登りましたが、 これらの山々は何度登ってもまた来たくなる、言葉では言い表せない魅力があったからです。

 しかし、残念ながら富士山にはそのような魅力を感じませんでした。正直言って毎年のように何度も富士山に登られる方の気持ちが解りません。私が思う限り、富士山は登る山ではなく、下から見上げて眺めるための山だとの印象を持ちました。 

 新幹線で東京に行く用事がある時、行きは左側、帰りは右側の席を予約するように準備して、必ず車窓から富士山を眺められるようにしています。これは理屈ではなく、富士山を見ないとものすごく損をした気分になるからです。

 そのような富士山が、今度世界文化遺産に登録されました。それに伴って富士山に登る人はもちろん、周辺の観光客も増えているそうです。 これは、地元の人のみならず、富士山を愛する日本人にとって、誠に喜ばしいことだと思います。

 日本が誇るべき富士山を撮した写真は、それこそ無限にあると思われます。しかし、「俗界富士」ほど、既成概念を打ち破る写真集は今までになかったのではないでしょうか。

 富士山がまさに文化遺産として登録されることを予言したような、日本人と深く関わりながら築き上げられてきた信仰や伝統を集約させたとも思われる、他に類を見ない本来の富士山の姿が、写真家藤原新也によって見事に表現されていると思います。

 この写真集が2000年に出版されていることが証明するように、世俗の空気に媚びない、自分の見たことしか信じない、まさに妥協を許さない孤高の写真家である藤原新也だからこそ撮れる、時代を先取りした世界がそこには広がっております。

 「俗界富士」をあらためて読み返すことによって、この山が登るべき山ではなく、畏敬の念を持って、俗界の中から眺める山であることを再認識した次第です。

 

著者略歴: 藤原 新也(ふじわら しんや) 写真家・作家
1944年、福岡県生まれ。 東京芸術大学油絵科中退。
第3回木村伊兵衛賞、第23回毎日芸術賞受賞。

 


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