”神幻想”を失った私たち

書評:『書行無常』

藤原新也 著  集英社


『書行無常』


 
 
藤原新也の著作を読み始めたのは、1983年に書かれた「東京漂流」が最初でした。ちょうど、今から30年ほど前のことになります。いわゆる、社会評論家や社会学等が書いた、素人でも知っていることを、さも専門家風に焼き直した駄文とは異なり、これまで読んだことがない独自の鋭い視点で、当時の日本の世相を見事に斬って捨てたその切れ味の凄さは、当時23才であった私の心を大きく揺さぶりました。

 今でも忘れようとしても忘れられない言葉。

「墓につばをかけるのか それとも花を盛るのか」

「ニンゲンは、犬に食われるほど自由だ」

 東京漂流を含め、藤原新也について興味を持っている友人と、京都市左京区一乗寺の下宿で語り明かしたこともありました。そして、それから30年、その言葉を拠り所にして、今日まで生き続けてきたような気がします。

 それ以来、今日に至るまで藤原新也の著作や写真集は、ほぼすべてと言えるほど読破しているつもりですが、最近(といっても2011年です)刊行された「書行無常」と言う著書は、藤原新也ファンにとっては、賛否両論があると思います。

 ご説明が遅れましたが、藤原新也は、その職業は作家ではなく写真家です。よって、今回の著作も文章と写真、それに「書」で構成されています。この最後の「書」が本当に必要であったのか、新しい境地を開拓したと言えるのか。この次の著作によって、これからの進む方向が決まるような気が致しますが、私は本来この人は作家(評論家)であり、写真家なので、今までのスタイルに戻ってもらえることを切望して止みません。

 「書」を加えることも良いかもしれませんが、すでに藤原新也の写真には、「書」の内容を読者に訴えるだけの力が、十分に備わっていると思っています。それほど、藤原新也の現実を見事なまでに鋭く切り取った「写真」には、見るものを黙らせる迫力を感じます。

 話が大変横道にそれてしまいましたが、「書行無常」には、最後に東日本大震災についても書かれています。その写真には、他の写真家では絶対に撮ることができない、現場の「臭い」が伝わって来ます。

 ただ、そこに書かれている文書より、藤原新也の本質が見事に表現されている文書が、「東日本大震災100人の証言」(AERA緊急増刊 朝日新聞出版)に書かれていますので、その一部を抜粋し、ご紹介して書評に代えさせていただきます。
 


「啼き騒ぐ鳥山の下にヒトの死臭あり。」

 私たちが”生かされ続けてきた”長い恵みの中で”そこに神がいる”と言う想念は当たり前のこととして人間生活の中に定着した。

 だがこのたび、神は人を殺した。

 土地を殺し、家を殺し、たくさんの善良の民やいたいけな子供たちや無心の犬や猫を最も残酷な方法で殺した。

(中略)

 私は水責め火責めの地獄の中で完膚なきまでに残酷な方法で殺され、破壊し尽くされた三陸の延々たる屍土の上に立ち、人間の歴史の中で築かれた神の存在をいま疑う。

 それはイワシの頭を信じる愚か者が叫んだように”罰が当たった”のではなく、神はただのハリボテであり、もともとそこに神という存在そのものがなかっただけの話なのだ。

 そして”神幻想”を失った私たちはいま孤独だ。しかしまた孤独ほど強いものもない。哀しみや苦しみや痛みを乗り越え、神幻想から自立し、自らの日本の足で立とうとする者ほど強いものはない。
 
 

追記:

 自然の中に神が宿ると言う、古代からの考え方は、結局間違っていたのではないでしょうか。「自然」と言う至高の存在があり、その元に神が存在するのであって、神でさえ、自然には逆らえないのだと思います。

 病気で死ぬことも「自然」なことであるのですから、いくら神仏に祈ったところで、回復するものではありません。それが現実なのだと思います。 
 

著者略歴: 藤原 新也(ふじわら しんや) 写真家・作家
1944年、福岡県生まれ。 東京芸術大学油絵科中退。
第3回木村伊兵衛賞、第23回毎日芸術賞受賞。

 


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