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5月 3日

 5月に入り、いよいよ成虫の動きも活発になってきた。ゼリー交換にも本腰を入れないと、餓死させてしまう危険性があるのも、以外とこの時期だ。ゼリーに関しては、昨年より備蓄を行っているおかげで、最盛期になるまでまだまだ余裕がある。

 とは言え、昔に比べれば今は必要なときに、お金さえあればいつでも手に入れることができるので、あまり意味はないかも知れないが、ゼリー収集家としては、やはり手元に置いておきたいのが心情というものだ。(意味不明!)

 ホームーページ更新も、以前に比べればすっかりスローダウンしてしまった。まさに、当方のクワガタ飼育にかけるエネルギーの枯渇と同期しているのが手に取るようにわかるのではなかろうか。

 それでも、考えようによっては今までが異常であったとも言えるし、これからはマイペースでボチボチと進めて行きたいと考えているので、お時間のある方はぜひおつき合いいただきたいと思う。

 とは言いつつ、最近当方のホームページを知った方は、いったいどう言う印象を持っておられるのであろうか? 飼育日記帳を例にとってみれば、クワガタに関する情報はほとんどゼロと言えるほどないし、一般的な世間の常識や道徳とは大きくかけ離れた記述が特出している。 

 しかし、個人の趣味として成立している単なるWebの一つであるのだから、こんなものだと割り切っていただきたく思う。実際、気に入らない人は次回から訪問しなくなるだろうし、このスタンスが今のところ正しいと考えている。 

 掲示板でも時々話題になるが、、クワガタ飼育をしている人はサイズと産地にこだわる人が多いようだ。サイズにこだわる人は、誰よりも大型個体を採集、あるいはブリーディングによって生み出したいと考える傾向にあり、産地にこだわる人は、種としての血統を何よりも重要視している人なのであろう。

 いずれにせよ、(自己)満足感を得るための手段として欠かせないのかもしれないが、いずれ飽きるときが来るであろう。

 人間は、何をするにも目的と競争意識がないと続かないのかも知れない。きっとそれが本来の正しい姿なのだと思う。

 価値観の多様化と言いながら、実は画一化した価値観(共同幻想)しか持ち得ないのがヒト本来の姿であるということを、教育の現場で是非とも教えていただきたいと思う。

 

4月25日

 イラク戦争は、米英連合軍の圧倒的な勝利のうちに終わったようだ。大方の予想通りの結果になったと言えばそれまでだが、軍事評論家の中には、バグダッド市内での市街戦によって、アメリカ軍に多数の死傷者が出るだろうと予想している人が結構いたように思う。

 しかし、その程度の予想であれば素人でもできることであり、軍事評論家として生計を立てているプロの立場にあるのであれば、「市街戦など散発的にしか発生せず、バグダッドはあっという間にアメリカ軍によって占領されるでしょう。」ぐらいなことを事前に予想してほしかったと思う。

 素直に感激したのは、江畑謙介氏のヘアースタイルが、湾岸戦争当時とあまり変化がなかったことぐらいであろうか。皆さんも、あの頭をみて懐かしさと共に安らぎを覚えられたのではないかと思う。

 誠実そうな人柄と同時に、戦争報道の解説者として、緊張と緩和を兼ね備えた極めて貴重な存在だと再認識した。ぜひ、今後も変わることのない独自のスタイルでもって活躍を期待するものである。

 バグダッドが陥落した日、当方は病院のベッドの上で、手術後の痛みに耐えながらテレビを見ていた。イラク戦争開始とほぼ同時期に、偶然にも身体に異常が見つかり、入院して手術をすることになったので、正直なところ戦争どころではなかったのだが、己に降りかかって来た病気の痛みと苦しみをも忘れて、時々刻々と変化するイラク戦争情勢に見入っていたのが実情である。 

 フセイン政権を武力によって打倒した現在、次のターゲットになりそうな北朝鮮にアメリカはどう対処してくれるのであろうか。日本人にとって、大変身近な問題であるだけに、他人事では済ませられないと思う。

 韓国や日本に少なからず被害が及んだとしても、武力による解決が最も近道であると判断するかもしれない。

 しかしながら、実際に北朝鮮が核兵器を保有していたとしても、米国本土に打ち込むほどテポドンの精度が良さそうにない現在、そこまでリスクを負って先制攻撃を行うとはとても思えない。

 結局のところ、経済制裁措置でじわじわと追いつめる方法を選択するのだろう。

 まるで、第二次世界大戦前のアメリカと日本の関係に非常によく似ていると思われるが、あまり相手を追いつめると冷静さを失い、最後の手段として奇襲攻撃をかけて来ることも予想される。そうなると、最もねらわれやすいのは日本であろう。何しろ、アメリカにとって軍事戦略的価値が高い日本は、北朝鮮にとって米国の54番目の州のようなものだ。相手にとって不足はないし、同じ民族でもないので国民感情に気を使う必要がない。

 日本人の拉致を認め、被害者を日本に帰国させてしまうと言う、取り返しのつかない大失態を演じてしまった北朝鮮にとって、さらなる過ちを犯すことは十分に考えられる。

 そうならないためにも、くれぐれも北朝鮮に対しては無条件降伏を要求せず、亡命の道を残しておいて欲しい。過去の日本がそうであったように、政治体制が変われば国民の意識も変化するものだと思う。 

4月 4日

 

 イラク戦争が始まってから、2週間が経とうとしている。TVや新聞から得られる情報から判断すると、この戦争が短期間で終わるか長期戦になるかは、ここ数週間で決まるようだ。

 皆さんは、この戦争をどのように見ておられるのであろうか。世界中で戦争反対を訴えるデモが起きているようだが、私はそのような行動に対して素直に賛成する気持ちになれない。逆に、なぜ反対するのか、その気持ちを聞いてみたいと考えているぐらいである。

 罪もない人が殺されるから反対するのであろうか。 

 自分と関わり合いのある人が殺されそうな状況におかれるのであれば、私も無条件に反対すると思う。しかしながら、一度もお目にかかったことのない人の生死を案じて戦争反対を訴えるほど善人(偽善者と言い換える方が正しいと思う)では全くない。

 戦争でなくとも、罪のない人が日常的に殺されているのが、この世の中ではないのか。そして、その被害者に対して正当な権利(それは復讐権以外の何物でもない)が与えられているのであろうか。

 徴兵制度のある国民であれば、戦争反対を訴えるのも良く解る。誰しも、見ず知らずの人間を殺しに行きたくないし、もちろん殺されたくもない。

 ところが、日本は幸か不幸か徴兵制度がなく、自衛隊という志願して入る軍隊があるだけである。大人になっても徴兵の義務がなくて生きて行けるのは、本当に日本ぐらいなものではなかろうか。(お隣の韓国は、もちろん兵役義務がある。)

 その点においても、諸外国で起こっている戦争反対運動と、日本人が訴える戦争反対運動では、明らかに重みが違いすぎるのである。

 戦争に賛成する気持ちはないが、反対するだけの根拠も持ち得ず、どうしてよいかわからない、いわゆる「思考停止状態」にあるのが、今の偽らざる気持ちである。

 ひとつだけ、はっきりしていることは、自分の考え方が一方的に正しいと思い込み、それを相手に押しつけるような人間ども(いわゆる原理主義者)が戦争を引き起こしていると言うことだ。

 

 


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