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2月  4日

 

 スペースシャトル・コロンビア墜落事故のニュースには、本当に驚いた。最高度の技術が投入されているとはいえ、人間が作った乗り物だから、いつかまた大きな事故を起こすだろうと言う予想はあったが、まさかこんなに早く、しかも帰還時に空中分解するとは考えてもいなかった。皆さんも同様ではないだろうか。

 事故原因は、今後明らかになるだろうが、どうやら打ち上げ時に生じた耐熱タイルの破損が関係しているらしい。おまけに、そのことをNASAは最初から把握しておきながら、これまでの経験から飛行に問題なしと判断したようである。

 スペースシャトルの飛行計画に人間の経験が関与していたと言うのを知って、あらためて驚いた。

 パイロットとその家族の方には、本当に気の毒だと思うが、予算を削減されつつあったNASAとしては、一回の打ち上げにかかる費用と手間を考えると、少々のトラブルでは打ち上げを中止することができないと言う事情があったのだろう。そう考えると、NASAの関係者も不幸だと思う。人間、誰しも事故を起こしたくて仕事している人はいないはずだ。

 それでは、予算を削減した議会や、それを承認した大統領が悪いのかと言えば、そうでもないのではないか。宇宙開発には時間と莫大なお金がかかる反面、成果が見えにくい。景気がよい時はそれでも問題ないだろうが、不景気になれば真っ先に削減対象になるのは、いつも新しい技術を開発する研究部門と相場が決まっている。

 本当は、そのような時ほど研究開発に資本を投資しなければいけないはずであると思うのだが、先行きが不透明であればそうも言っておれない。予算削減は、仕方のない選択だったと思われる。

 ブッシュ大統領は予算の増額を発表したそうだが、できるのであれば何を今更と言う気がしないでもない。人それぞれ考え方があると思うが、予算が減れば減ったなりに、シャトルの飛行回数を減らすとか、計画を先延ばしにするとかと言った選択方法もあったと思う。しかしながら、それを言い訳にせず、当初の予定通りに計画を実行しようとするところに、NASAの意地とプライドが見え隠れするようだ。

 事故が起きるときは、必ずどこかに無理がかかっているのであろう。それを事前に察知できている場合もあるかもしれないが、たいていの場合は目をつぶることによって見過ごされてしまう。

 それは、いつも言うようだが、単に戦いから逃げているだけである。己との戦いとは、自分に与えられた能力の限界を知ることでもあり、自らのプライドを傷つけることに等しい。しかし、それを受け止めない限り無理は生じ続けるし、不幸な事故も後を絶たないであろう。

 世間一般でよく言われる「やればできる。やる気があれば、いつか夢が叶う。」式の無責任きわまりない発言は、いいかげんやめなければいけない。そんな言葉は何の訳にも立たないどころか、被害を与えているとさえ言える。

 もし、どうしても言いたいのなら、「(才能のある人が)やればできる。やる気があれば、(運が良ければ)いつか夢が叶う(時もある)。」と正確に表現するべきだ。

「頑張れ!」と言う言葉も、軽はずみに言ってはいけない。人に言われなくとも、誰しも自分なりに精一杯頑張っているのだと思う。

そうした、いい加減な言葉が、人に無理を強いるのである。

 

1月29日

 

 一昨日、奈良オオクワセンターニュースが届いた。年末以来のことである。この日記帳を読んでいただいている方の中にも、数多くの奈良オオユーザーがおられると思うが、特別買う気もないのに、何となくうれしい気持ちになるのはなぜだろう。

 その理由はやはり、あのカラー印刷されたチラシとそこに書かれている過激なキャッチコピーにあると思うが、いかがであろうか。「今回は、いったい何が売りなのか」と眺めているだけでも十分楽しめるような気がする。

 そう言えば、最初の頃の奈良オオクワセンターニュースは白黒のコピーで、しかも手書きの箇所もあったほど、アットホームな雰囲気に満ち満ちていた。それはそれで、十分楽しいとも言えるが、やはりカラー写真入りのものは迫力が違う。

 お金もかかることかと思うが、ぜひ今後とも末永く続けていって欲しい。

 デフレの波がクワガタの世界にも押し寄せている今日、奈良オオのように羽振りがいい(実際はどうか不明だが)ところは、そう多くないはずだ。そのような厳しい環境の中にありながら、格安で飼育材料を提供してくれる業者は、本当に貴重なものである。

 今では信じがたい話になるが、8年前にクワガタを飼育し始めた頃は、飼育用埋込みマットすらホームセンターで簡単に手に入れることが難しく、貴重品であるマットをバケツに入れて洗浄し、新聞紙の上で乾燥させて何度もリユースしたものである。

 8年前と言えば、阪神大震災が起こった年である。その頃は、当方もコクワガタを2ペアだけ飼育ケース(小)に入れて飼育しているだけだった。

 果たして、地震が起きたその瞬間、二段重ねにして置いておいた飼育ケースが倒れていた。今までに経験したこともない大きな揺れであったことを、昨日のことのように思い出す。

 「あの時のことを忘れてはならない」と、新聞やTVはこの時期になると歩調を合わせたように繰り返すが、忘れてしまいたいと思っている人も、たくさんいるのではないのだろうか。

 つらいことや悲しいことは、忘れてしまわないと生きて行けないと思う。ただ、それが易々と実行できるぐらいならば、誰も悩むことはないのであろう。 

1月23日

 

 今年初めての日記である。一ヶ月に一度では、あまりにも情けない気がするので、せめて週に一度は更新するようにしたい。

 1月21日の朝日新聞夕刊に、奈良の高校教諭とペットショップ経営者がオーストラリアで採集禁止のクワガタムシを1000匹近く捕まえ、日本に密輸しようとしていたところを税関で見つかり、逮捕されて裁判を受けるために足止めを食っていると言う記事が一面に掲載されていた。

 外国産のクワガタムシを輸入できるように日本の法律が改定されてはいるものの、輸出を禁止している国もあるわけで、オーストラリアはその一つである。

 特に、今回発覚した事件の場合、世界遺産に登録されている島に生息している希少種だったようなので、これはもう申し開きができないだろう。

 最高刑は禁固10年と言うことなので、そうとう厳しい印象を受けるが、オーストラリアが、自国の動植物を保護するためにはそのぐらいは当然と考えるのは良く理解できる。

 こうした事件が起きると、日本では高校教諭ともあろう人物がクワガタムシの密輸に荷担すること自体非常識だと言う世論が大勢を占めるだろうが、それは間違いであって、そうした考え方自体が幻想と言える。

 人間、欲が出ると自制心が効かなくなるのが一般的であり、我慢する状態の方が、どちらかというと異常なものである。この事件の場合も、日本に持ち帰れば高く売れるだろうと言う商売気もさることながら、マニアとしては希少種を生きたまま持ち帰り飼育することが、自分の欲望を満たすに十分な行為であったのだろう。クワガタ仲間にも自慢したかったに違いない。

 彼らにとって、今回は運悪く見つかってしまったけれども、マニアの需要がある限り、別の人物あるいはグループがあらゆる方法を使って密輸を試みると思われる。もしかすると、地元の人間を買収するかもしれないし....

 今回の事件を通じて、我々が唯一得るものとすれば、所詮人間というものは欲望に対して無力であると言う自覚を持つことではなかろうか。

 人間は、あらゆる欲望から逃れることなど出来はしないのだ。言い換えれば、欲望を持たないような人間は人間でないとも言える。 

 くだらない正義感や道徳心でもってこの事件を結論付け、過去のものとしないためには、そうした人間本来の持つ心理を見つめ直すことが大切なように思う。

 煩悩と戦い続けてゆくことこそ、人生だと言える。自分の心に欺かない為にも、煩悩を断ち切るために努力する悲しい人だけにはなりたくない。

 決して逃げてはいけない。21世紀は己との戦いの世紀である。

1月29日

 

 一昨日、奈良オオクワセンターニュースが届いた。年末以来のことである。この日記帳を読んでいただいている方の中にも、数多くの奈良オオユーザーがおられると思うが、特別買う気もないのに、何となくうれしい気持ちになるのはなぜだろう。

 その理由はやはり、あのカラー印刷されたチラシとそこに書かれている過激なキャッチコピーにあると思うが、いかがであろうか。「今回は、いったい何が売りなのか」と眺めているだけでも十分楽しめるような気がする。

 そう言えば、最初の頃の奈良オオクワセンターニュースは白黒のコピーで、しかも手書きの箇所もあったほど、アットホームな雰囲気に満ち満ちていた。それはそれで、十分楽しいとも言えるが、やはりカラー写真入りのものは迫力が違う。

 お金もかかることかと思うが、ぜひ今後とも末永く続けていって欲しい。

 デフレの波がクワガタの世界にも押し寄せている今日、奈良オオのように羽振りがいい(実際はどうか不明だが)ところは、そう多くないはずだ。そのような厳しい環境の中にありながら、格安で飼育材料を提供してくれる業者は、本当に貴重なものである。

 今では信じがたい話になるが、8年前にクワガタを飼育し始めた頃は、飼育用埋込みマットすらホームセンターで簡単に手に入れることが難しく、貴重品であるマットをバケツに入れて洗浄し、新聞紙の上で乾燥させて何度もリユースしたものである。

 8年前と言えば、阪神大震災が起こった年である。その頃は、当方もコクワガタを2ペアだけ飼育ケース(小)に入れて飼育しているだけだった。

 果たして、地震が起きたその瞬間、二段重ねにして置いておいた飼育ケースが倒れていた。今までに経験したこともない大きな揺れであったことを、昨日のことのように思い出す。

 「あの時のことを忘れてはならない」と、新聞やTVはこの時期になると歩調を合わせたように繰り返すが、忘れてしまいたいと思っている人も、たくさんいるのではないのだろうか。

 つらいことや悲しいことは、忘れてしまわないと生きて行けないと思う。ただ、それが易々と実行できるぐらいならば、誰も悩むことはないのであろう。 

 


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