土佐十一烈士之墓



攘夷の禍根 佛兵を害し


藩兵 切腹の刑 無殘 


明治元年 將に夜明けに


烈士 夕闇の界に 葬送せらるるとは

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         妙國寺 堺市材木町 

慶應四年(明治元 一八六八)二月一五日、
土佐藩の堺警備兵が、海岸測量中のフラン
ス兵を攻撃し、死者十一人の被害を與える
事件が起きた。堺事件である。維新政府は
フランスの要求に應じ、賠償金の支拂いと
土佐藩士に切腹を命じた。ここは、この時
切腹した、十一人の墓である。當時、維新
政府は攘夷の方針を捨て、開國和親の政策
をとっていたが、一般の兵士には、攘夷意
識が濃厚という背景で起きた悲劇であった。
森鴎外は、この悲劇を題材にして、「堺事
件」を書いた。寫眞は日佛兩兵の慰靈碑。
十一烈士の墓は、この寺の向かいの寶珠院
にある。

攘夷 じやうい  外國人をうちはらうこと

禍根 くわこん  禍の起るもと

佛兵 フランスへい

將 まさ

夕闇の界 ゆふやみのかい ここでは、黄泉路を指す。  

烈士 れつし  節義の固い士

                                                                                                       


                                           

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