
■ 詩の構造
◆「訓讀漢詩風・四行詩」とは何か
「訓讀漢詩風・四行詩」とは、漢詩の絶句(四行詩)を、日本語の意味に譯した、訓讀絶句風の詩です。
別掲の「例詩」をご覽下さい。一見、漢詩(訓讀漢詩)に見えるかもしれませんが、漢詩ではなく、訓讀漢詩でもありません。そこで、この詩型を私は「訓讀漢詩風・四行詩」と、獨自に命名しました。
では、この詩型は、漢詩(訓讀漢詩)と何處が違うのでしょうか。
◆ 漢詩(訓讀漢詩)との違い
漢詩は、もともと中國の詩ですから、これを作る場合、押韻や平仄、それに和習排除等の規則に從わなければなりません。ここで、平仄とは、音の抑揚を、押韻の韻とは、字音の響きのことを言います。押韻とは、同じ韻に屬する語を一定の場所に揃えることです。押韻や平仄は、中國詩では、たとえば、お酒(詩)の中のアルコールのようなもので、これがあるからこそ、韻文としての芳香と味わいがあり、酩酊できるのです。つまり、押韻や平仄は、中國詩の韻律の核であり、詩の本質を構成するものです。
これに對して、「訓讀漢詩風・四行詩」は、先ず原詩としての漢詩を作りません。漢詩を作らないので、その日本語譯としての訓讀漢詩もありません。いきなり、訓讀漢詩風の詩作をします。漢詩ではありませんから、詩作時、外國人としての日本人が、上述しました押韻や平仄の規則に難澁することもありません。しかし、漢詩と全く無縁と言うことではなく、規則のかなりの部分をベースにしています(絶句、造句法、起承轉結法等)。
このように、原詩(漢詩)がなく、したがって訓讀漢詩もない、しかし、詩型が訓讀漢詩風なので、「訓讀漢詩風・四行詩」と命名したのです。では、なぜ原詩(漢詩)を作らないのでしょうか。
◆ なぜ「訓讀漢詩風・四行詩」にしたのか
その理由は、押韻や平仄を核にした原詩(漢詩)を作ったとしても、押韻や平仄は、訓讀漢詩にすると、日本語には反映しないからです。先ず、中國語の平仄は、もともと、日本語にはありません。次に、押韻はどうでしょうか。中國音の音讀みから日本語の訓讀みに轉換すると、原音のもつ響きが消失してしまいます。つまり、押韻や平仄は、日本語に轉換した途端、本來の機能を失うのです。
しかし、無押韻、無平仄の訓讀漢詩は、ノン・アルコール酒のように味けないものでしょうか。そんなことはありません。なぜなら、訓讀漢詩は、平安時代の初めから、1,000年以上にわたる歴史と傳統、そして先人の絶えざる彫啄と洗練により、日本人の感性に融化した、特有のリズム感のある、美しい文體に昇華されてきたからです。そのお蔭で、私たち日本人は、漢詩と言えば、普通、原詩(漢詩)ではなく、訓讀漢詩を指し、古來、これに親しんできたのです。
たとえば、「春眠 曉を覺えず」「國破れて 山河在り」「牀前 月光を看る」…等、どれも、原詩(漢詩)ではありません。日本語化された無押韻、無平仄の訓讀漢詩なのです。
それならば、原詩(漢詩)を作らないで、最初から、無押韻、無平仄の訓讀漢詩風の詩でよいではないかと、私は考えました。たとえば、自己の感動を日本詩に表現したいと思っているのに、先ず、わざわざ韻律構造が違うフランス語の詩を作り、次に、それを日本詩に飜譯するようなことをしているでしょうか。もちろん漢詩とフランス詩とは言語構造が全く違い、同じ基準で論じることはできませんが、基本的な考え方は、同じなのです。
こういう譯で、爾後、訓讀漢詩風の詩作を續けた結果、詩としての意味・リズム感ともども、在來の訓読漢詩(日本漢詩)に比べても、遜色がない、むしろこの詩型獨自の特徴に、より魅力を感じるようになりました。
■ 詩の特徴
「訓讀漢詩風・四行詩」は、在來の漢詩(訓讀漢詩)と同じく、硬質・簡潔そしてとりわけ、リズム感等の特徴を備えています。更に、漢詩(訓讀漢詩)に比べて、この詩型の詩は、意味・リズム感共に、和風の趣きになりました。なぜでしょうか。内容と音調、そして朗吟について下記に述べてみましょう。
◆ 内容について
先ず、意味内容面について考えてみます。一つ目は、押韻、平仄等の制約のない日本語で終始發想し、表現することで、母國密着の詩想に自ずから展開するからでしょう。したがって、詩的對象場面で受けた自己の感動を、かなり直截に言葉に表現することができます。「感動即詩」とまではいかないにしても、日本漢詩を作っている時感じる、あの感動と言葉の乖離感、いわば「隔靴掻痒」の違和感はありません。
二つ目は、一つ目と關聯しますが、「和習」の問題です。漢詩は、中国の詩ですから、漢詩を作る場合は、「和習」、つまり日本的な發想と習慣等を避けることが求められます。しかし、この詩型は繰り返しになりますが、漢詩ではなく、日本詩ですから、そういう面のタブーはなく、母國の風土と傳統を背景に、自由に發想し、自由に詩想の展開ができるのです。つまり「和習の排除」ではなく、逆に「和習の重視」への転換です。これは、詩の舞臺が日本であるにも拘らず、日本漢詩(日本人が作る漢詩)に往々にして見られる傾向、即ち中國的な世界,中國的な表現やイメージから解放されることを意味しています。こういう理由で、詩題にしても、内容にしても、表現にしても、自ずから和風性の性格を持つに至りました。
◆ 音調について
次に、音調面から考えます。それは、外國語としての押韻や平仄の障害や制約を全く受けず、日本語としての和文律の響きやリズム感を第一に考えて、漢語や和語を選んでいることにあります。詩の構成として、核となる漢語の韻律を第一に重視していることはもちろんですが、ややもすれば、訓讀漢詩に見られる、難語を羅列した、いかにも直譯調の、ごつごつした生硬な響きにならないように、柔らかい和語のリズム律を取り入れ、流麗感のある音調律の創出を意圖しています。
◆ 朗吟について
こうした音調面の吟味の結果、朗讀・朗吟して、口調が良く、耳にも心地良く響くように釀成されていれば、まさに、詩の桃源郷に浮遊する悦びを實感できるのです。この意味で、「訓讀漢詩風・四行詩」は、「漢語脈の和風音樂詩」とも言えます。訓読漢詩は、もともと朗吟にも適した文語自由詩です。「訓読漢詩風・四行詩」は、先人が積み重ねてきた、訓讀漢詩の文語體遺産を吸收して、今日風に、新たな息吹きを吹き込もうとしている文語詩です。
私は、詩の本質は、内容もさることながら、元來がそうであるように、音樂的な韻律感にあると考えています。それは、先人が殘した文語詩にこそ、豐かな可能性が包含されているのです。そして、肝心なことは、これらの詩文體を朗讀・朗吟することです。聲に出して讀むことによって、詩文體は「言靈」になり、讀む人も、これを聽く人も、言葉の靈力に心動かされるのではないでしょうか。私は、この詩集がそうあって欲しいと願っています。詩集名を「朗々」としたのもそのためです。
■ まとめ
上述の要點をまとめますと、下記の通りになります。
| 構造 |
◆取り込んでいる漢詩規則 修辞法
○ 絶句(5言及び7言)
○ 造句法(5言→2+3 7言→4+3)
〇 起承轉結法 〇 對句法
◆取り込んでいない漢詩規則
〇 押韻 〇 平仄 〇 和習の排除等
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| 特徴 |
◆内容面
〇和習の趣き ……日本の(自然・風土・歴史・文化等)
日本の(發想・習慣・漢語 ・構文等)
◆視覺・音調面
〇 硬質…漢語脈による
〇 簡潔…5言・7言の定型性及び文語體による
〇 リズム感…漢詩造句法のリズム感+和文の
自由律リズム感による
〇 朗吟に適す…硬質・簡潔・リズム感そして
和風性の文語自由詩型による
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■ 文章の表記について
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(例): 矢印の右が、歴史的假名遣です。 櫻花(おうか)→あうくわ 紫陽花(あじさい)→あぢさゐ 疑う→疑ふ など
● 詩集の詩に使われている、主な漢字の振り假名と字義及び解説を、詩の下部に載せています。
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● 詩は、分かち書きにしています。朗吟の間,、呼吸を重視しているからです。
● 詩の書き方のスタイルは、詩集は縱書きで、それ以外は横書きです。
● 詩題の季節區分は、俳句の季題(季語)と無關係です。その詩作をした實際の季節に基づいて區分しています。
● 尚、詩集の寫眞は原則として、自分で撮影したものですが、一部は市販のソフト(著作權フリー)を使っています。
以上。