賤ヶ岳古戰場跡
賤ヶ岳から餘呉湖、北庄方面を望む
       賤ヶ岳古戰場跡



勝家 秀吉の攻撃に敗れ


火炎に消え逝きぬ  妻お市の方と 


遙か北庄望んで 夫人偲べども


杜鵑の辭世 餘呉に漂ふばかり

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         滋賀縣伊香郡木之本町大音

賤ヶ岳(しづがたけ)の戰いとは、天正
十一年(一五八三)四月、近江國賤ヶ岳
附近での羽柴(豐臣)秀吉と柴田勝家の
合戰である。勝家は越前國北庄(きたの
しょう)で秀吉の總攻撃を受けた。勝家
の夫人は、お市の方で、織田信長の妹。
夫人は、はじめ、近江國小谷城主淺井長
政と結婚、信長が淺井氏を滅ぼしたあと、
柴田勝家と再婚していた。この戰いで、
城は秀吉に攻められ、お市の方は、茶々
(のちの淀殿)ら娘三人を城から出して、
勝家と共に自刃した。次は、夫人の辭世
である。

さらぬだに 打ちぬるほども 夏の夜の
            別れを誘ふ ほととぎすかな

賤ヶ岳 しづがたけ  滋賀縣北部、琵琶湖
北端部東岸にある山。標高四二二メートル。

勝家 かついへ 柴田勝家。 尾張の武將。
織田信長に仕えて越前に封ぜられる。信長の歿
後、羽柴(豐臣)秀吉を除かうと擧兵したが、
賤ヶ岳の戰いに敗れ、北庄に、夫人お市の方と
共に自害した。

お市の方 おいちのかた

北庄 きたのしやう 福井市の古稱。柴田勝家が
城下町を建設した。

杜鵑 ほととぎす

餘呉 よご  餘呉湖。 滋賀縣北部、伊香郡餘
呉町にある陷沒湖。面積一、八平方キロメート
ル。よごのうみ。

                                                                                                       


                                           

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