佐和山城跡        佐和山城跡



三成敗走 城 攻めに曝され


城中の婦女 崖に落ち逝きぬ 


城郭 破却に痕跡無く


城跡の草木 唯風に搖らめくばかり

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         彦根市古澤町

佐和山城は、豐臣秀吉の家臣石田三成
(みつなり)の居城であったが、慶長
五年(一六〇〇)關ヶ原の戰いで三成
が敗れると、徳川方の攻撃を受けて落
城した。この時、城中の女子供が斷崖
から次々に身を投げた。三日三晩にわ
たって死にきれない女の悲鳴が聞こえ
たという。現在の佐和山城跡は、草木
で覆われ、石垣すら殘つていない。佐
和山城攻略に功をあげた井伊氏がこの
城を貰い受けたが、豐臣色を拂拭する
ため、徹底的に破壞、主な資材は彦根
城築城に使つてしまったという。この
城跡から、西南方向に彦根城が聳えて
いる。敗者の荒廢した佐和山城跡と勝
者の壯麗なる城郭が對照的で、歴史の
榮枯盛衰を實感させる所である。

三成 みつなり 石田三成

安土桃山時代の武將。豐臣家五奉行の一
人。佐和山一九萬石の城主。秀吉の死後
徳川家康を除こうとしたが、關ヶ原の戰
いに敗れ、京都で斬首された。

破却 はきやく 壞すこと

城跡 しろあと

草木 さうもく





                                                                                                       


                                           

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