眞田幸村戰死跡の碑      眞田幸村戰死跡の碑



幸村 家康を窮地に陷れども


後續軍なく 此の地にて戦死したり 


石碑を仰いで 遙かなる猛將に傳ふ


汝が信義貫徹に 景仰すと

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         安居神社境内  (大阪市天王寺區逢阪)

ここは、豐臣方の武將、眞田幸村が戰死
した所で、その石碑が立つている。
一六一四年(慶長十九)に冬の陣、翌年
夏の陣が起きた。この戰いは、激烈をき
わめ、豐臣方の有力武將は、次々と討死
し、合戰は五月七日、大坂城南の茶臼山
附近で、最後の一大決戰になだれこんだ。
幸村の一隊は、この日、茶臼山の家康本
陣を急襲、家康の心膽を寒からしめる程、
壯烈な戰いに發展したが、ついに幸村は、
この地で戰死した。幸村の死をきっかけ
に、豐臣方は、總崩れになり、徳川方は、
一氣に城攻めに突入、城は炎上し、淀殿、
秀頼母子は自刃、豐臣家は滅亡した。
幸村の豐臣方に對する忠節もさることな
がら、茶臼山での奮戰ぶりは、後世の語
り草となっている。
幸村の兄信之は、關ヶ原の戰いでは、家
康方に屬し、大坂冬の陣でも、戰功をあ
げ二十二年(元和八)加増され、松代藩
主として十三萬石を領した。眞田家は、
以後、明治維新まで代々續いた。
しかし、同じ眞田家にあって、後世の人
に絶大な人気があるのは、幸村であろう。
負け組豐臣方に律儀に忠節を盡くし、徳
川方と勇猛果敢に戦い、潔く散つた幸村
に、多くの人が共感を寄せているからか
もしれない。




信義 しんぎ  信を守り義を行うこと

景仰 けいぎやう  徳を慕い仰ぐこと 







                                                                                                       


                                           

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