第6回(2017/11/1)



● 京都は、70余年前、爆撃と略奪で廃墟になっていた<この二人がいなければ>。

         そうなっていれば・・・

              千年の歴史と文化・伝統は消滅、今日の京都は、どこにも存在していない

                 ・ 碁盤の街並みも  ・ 荘厳な寺社・文化財も  ・ 美麗な庭園も  ・ 優雅な祭礼も

                     この二人とは・・・?      それが本文のテーマである。


 
 ■ はじめに

    京都の観光は盛況だ。が、これは現京都人の働きと力によるものだろうか。むろん、それもあろう。が、むしろ、千年の風雪を乗り越え、継承してきた、先祖の「汗と涙と智慧」の結晶、つまり、寺社・文化財遺産の賜物に負うものだ。これが、第一の根本要因。

 加えて、銘記すべき第二の要因がある。それは、戦中、戦後、京都の文化財を守った、二人の米人美術家の尽力だ。この事実なくして、今日の京都の基盤も観光も文化財も、(ことごと)く存在していない。以下、この二人を中心に、その顛末(てんまつ)を記す。

 
  ■  非戦災都市・京都の特異性 

  戦中、日本の主要都市は、米機の無差別爆撃で、至る所、焦土と化した。広島・長崎は原爆の投下で壊滅的被害を受けた。が、京都は、奈良、鎌倉と同様、奇跡的に爆撃を免れている。これについて、下記の書は、こう記している。

「京都は、戦時中、日本の六大都市のなかで、唯一、集中的な米軍の戦略爆撃をうけなかった都市である。戦前すでに百万都市であった京都は、周辺に軍需工場をもち、精密機械を中心にした生産がおこなわれていたが、それでも大爆撃から逃れていた。

 多くの都市基盤が失われず、市民のもつ資産も破壊されなかったのである。都市の資産も失われず、また周辺の生産設備、古代・中世以来の文化資源が残された京都は、まことに有利な存在であった。事実、国際観光都市の名をうけ、多くの人々が戰後、京都に押すな押すなの勢いでやってきた」。
                                           『京都を楽しむ地名・歴史事典』 森谷尅久著 PHP文庫

 ■「我が世の春」の京都の観光

 京都の観光は、盛況を極めている。データで確かめてみよう。平成28年京都府の観光入込み客数は、約8741万人。観光消費額は、約1兆1447億円。これは、4年連續過去最高を更新。外国人宿泊客数は、約326万人。これも、4年連續で過去最高を更新した(京都府HP)。他の多くの都市が、観光客誘致に腐心している中で、京都は、まことに恵まれた都市である。

 京都は、なぜ、かくも、世界の観光客をひきつけるのか。むろん、既述の通り、千年にわたって、継承されてきた、先祖の寺社・文化財遺産の魅力にあることは明白だ。これは、観光の表の要因だ。

 が、多くの人が知らない、観光基盤を保っている、隠れた裏の要因がある。京都は、既述の通り、戦中、米機による爆撃を免れ、原形を留めている奇跡的な都市であることだ。だからこそ、千年にわたる寺社・文化財が無傷で継承され、今日の盛況・京都観光を支えているのだ。では、なぜ爆撃を免れたのか、これが本文の焦点である。


■ 京都等古都は、戦中、なぜ、爆撃を免れたのか。

 既述の通り、京都は、奈良、鎌倉同様、爆撃の対象外とされてきたように見える。偶然か、好運か。実は、そうではない。これについて、今尚、根拠の無い流言飛語の類が飛び交っている。が、最近、その事実が明らかにされた。


 それは、「敵国の文化財を保護する」というアメリカの戦略的方針を基に、その実務の一端を担う、米の専門美術家が献身的に尽力したからである。これは、従来、極秘であった米資料を、米当局との、数年にわたる粘り強い交渉で、取材し、制作したNHKの下記の番組で知った。
    
 
                                                                      『美術家たちの太平洋戦争~日本の文化財はこうして守られた~』 2017/01/08  NHK   BS1

この放送の内容をもとに、京都等古都とその文化財が、如何にして戦中の爆撃や、戦後の没収から守られたかを記してみよう。

■ 京都等文化財は、このようにして守られた

 戦中、アメリカには、敵国(ドイツ、日本等)の文化財を保護する美術の専門家組織(モニュメンツメン)があった。そこで、爆撃から外す保護文化財リストの作成が求められていた。日本についての専門家は、当時ハーバード大学付属フォッグ美術館東洋美術部長のラングドン・ウオーナーが選ばれた。

  彼は、戦前、日本美術を学ぶため、日本に留学していた。そして、奈良の佛像修復の専門家:新納(にいろ)忠之介の居宅に、1年余、寄寓し、勉強していたこともある。このウオーナが日本の文化財を守る中心になったのである。

 ◆ 戦中、京都等文化財の爆撃阻止に尽力した米人美術家:ラングドン・ウオーナー

 ウオーナーは、日本文化財の、爆撃対象外リストを自身で作成することに限界を感じ、当時滞米の、二人の日本美術の専門家に協力を仰いだ。富田幸次郎(ボストン美術館 東洋部部長)と角田柳作(コロンビア大学講師)である。彼等は協力を承諾、リストは作成された。そし日本爆撃計画の米軍に引き渡された。これが、いわゆる、「ウオーナーリスト」と呼ばれるものである。

 ウオーナーリスト(日本の文化財 爆撃対象外リスト)・・・資料: 米国 国立公文書館蔵

    <全国137か所>

    
京都: 平等院、金閣寺等31か所  奈良: 法隆寺、興福寺等15か所  東京: 浅草寺、帝室博物館等26か所


◇ 空爆戦略の地図(ウオーナリストによる爆撃回避の標的を含む)・・・資料: 米国 マックスウェル空軍基地蔵

 1945年、本格的な本土空襲が実施される。爆撃対象外の標的は、事前の空中偵察で把握していた。カラー写真。爆撃対象外の標的は、緑色と無色。爆撃地域は赤色で表示していた。爆撃対象外の位置は、緯度、経度まで確認表記されていた。(例:平等院 北緯34度53分21、東経135度48分27、69秒等)

空爆計画完了後、ウオーナリストの文化財はどう守られたのか(結果の確認

    <全国137か所>・・・8割が被害から免れた。 京都:被害なし  奈良:被害なし


 かくて、京都等古都と、その文化財は米機の爆撃から免れた。ウオーナーによる、爆撃回避の尽力が生かされたのである。文化財の爆撃回避の行為は、同時に、先の「非戦災都市・京都の特異性」で既述したように、都市基盤、市民の人命、資産等が失われなかったことに繋がっている。部分的に被害があったにしても、最小限で済んでいるのだ。

 戦後、師と呼ぶ新納忠之介に送られたウオーナーの手紙

  
「あなたは、私が京都や奈良を守ったと思ってはいけません。我々は、重要な寺院であるとか、神聖なる場所のリストを、軍に送る仕事をしてきました。これらの名をあげたことが役立ったとしたならば、それはあなたのもとで、勉強させてもらった賜物でした」と。

◇ ウオーナー顕彰碑の建立

 京都等古都とその文化財を戦禍から守ることに献身的に尽力したとして、ウオーナーに感謝する顕彰碑(ウオーナー塔)が、1958年6月、奈良・法隆寺・西円堂の近くに建立された。(文末の写真参照)




◆ 戦後、京都等文化財の没収阻止に尽力した米人美術家:シャーマン・リー

 戦後、戦勝国が敗戦国の文化財を賠償品として、国外に持ち出すことは珍しくなかった。ソ連は、ドイツから価値の高い美術品を数多く持ち出していた。米国では、連合国の委員会を設け、日本の文化財を賠償品にするという議論が行われていた。参加国の中で、中国が、最も強硬に没収を要求していた。京都等日本の文化財は、国外流出という新たな危機にあったのだ。

 日本の占領政策を担うGHQ(連合国軍総司令部)には、専門の美術記念物課が設けられていた。顧問は、ウオーナーであった。が、実務は、彼の孫弟子:シャーマン・リーという若い美術家に託された。彼は、戦前から日本美術に傾倒し、深い尊敬の念を抱いていた。彼は、没収を阻止するため、正倉院展を開いたりして、日本人に対する啓蒙と世論の高揚を図っていた。

◇ GHQ文書に残るリーの没収反対の考え・・・リーは、日本の文化財を没収の対象にするという危機をどう考えていたのか。彼の意を反映した1946年9月のGHQ文書がある。

 「文化財を賠償品にあてる行為を非難する。文化財は不可侵とみなすよう強く求める」

◇ GHQ総司令官D・マッカーサーから米陸軍省宛の電報・・・1948年5月31日、既述のリーの考えを反映したD・マッカーサーの電報が、米陸軍省に打電された。

◇ 国務省の文化財没収法案・・・当時、マッカーサーの案は、国務省の考えと真っ向から対立するものであった。が、その後、ニューヨーク・タイムスに、「没収は合法的略奪」と批判する記事が出た。これを機に、流れが変わった。国務省等は、世論に抗せず、遂に、1949年文化財賠償の法案を廃案にした。

 シャーマン・リーの献身的な尽力が身を結び、日本の文化財は没収から守られたのである。没収反対の、彼の高尚な理念と強い熱意が、マッカーサーを動かし、遂には、国務省等の政策を逆転させたのだ。


■ まとめ

 
京都は、70余年前、爆撃と略奪で廃墟になる危機にあった。が、ラングドン・ウオーナーとシャーマン・リーという、両米人美術家の献身的な尽力で救われたのだ。今日の盛況・京都は、両恩人のお陰で支えられているのだ。




■ 京都新生のための三省(さんせい)


 京都は、既述の通り、日本の都市の中で、最も恵まれた環境にある。ブランド「京都」の威光は、国内外に際立っている。が、それ故、京都には、それに麻痺し、慢心している人達も少なくないようだ。(参照:第4回 「千年の古都のいやらしさ」とは是如何に)。そこで、そういう京都人に提案がある。次のように、「今、京都で、生きていくには・・・」として、反省し、思考を巡らしてみるのだ。題して、「京都新生のための三省」である。

(1)先祖が、もし、今日の寺社・文化財を創造し、継承してこなかったら、今、京都で、どのようにして生きていくのか。

(2)戦中、京都が、もし、東京や大阪のように、爆撃され、焦土と化し、寺社・文化財が壊滅していたら、今、京都で、どのようにして生きていくのか。


(3)戦後、京都の文化財が、賠償品として、戦勝国アメリカや中国に没収されていたら、今、京都で、どのようにして生きていくのか。


■ あとがき 


 遥かなる時空の彼方より、天声聞こゆ。京都の古稱(こしょう)・平安京を建都したる、桓武(かんむ)天皇に(あら)ずや。いざ、伏して拝聴し、人語に変えん。


                 
京都人よ  (おご)ることなかれ  盛況・京都は我等の力と


             覚醒(かくせい) せよ  そは 先人・恩人の力添えあればこそと


              我は祈る! 我が愛する京都よ! 永遠(とわ)繁栄(さかえ)あれ!と


■ 写真参照

        


                               ▪観光客で賑わう京都
                                                    

         ウオーナー塔                            南 禪 寺                                    清 水 寺                 祇 園 祭







以上

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