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お笑い芸の奥義(おうぎ)は何か

 落語家や漫才師、コメディアン達は、お客を笑わせることが仕事である。これは大変難しい仕事の一つだ。同じネタでも、大笑いさせる芸人がいる一方、クスリとも笑わせられない芸人もいる。これは、「何を話すか」というよりも、むしろ、「どのように話すか」が、芸の味であり、奥義であることを示している。

  この「どのように話すか」で、高いレベルになる程、笑わせ方が、わざとらしさのない、「無為自然(むいしぜん)」の(てい)になる。「人生何が面白いか」と、苦虫(にがむし)()みつぶしたような顔のお客でも、破顔一笑(はがんいっしょう)させなければ一流にはなれない。それ故、その芸域に至るまでには、相当厳しい修業が求められるだろう。それまで、芸人は泣かされ続けられるに違いない。この至芸の典型は、渥美清だろう。彼は、お客を捧腹絶倒(ほうふくぜっとう)させる天才的、かつ無為自然の芸人であった。「男はつらいよ」の寅さん役を、彼以外の芸人が演じたら、映画は成功したであろうか。

 ○ 寅さんは言った「それを言っちゃおしまいよ」と

  往年の映画「男はつらいよ」は、今尚、テレビで繰り返し、放映されている超人気の国民的映画である。かつて、ある人が、この映画には、悪人がいないと批判した。が、 映画で、主役の寅さんを演じた、鬼籍(きせき)の渥美清が、これを聞いたら、ニヤリと笑って、こう言うに違いない。「それを言っちゃおしまいよ。これは、喜劇映画だ。 お客は、笑いを求めて見に来るんだ。なぜ、悪人が出なけりゃいけないんだ。悪人は、(ちまた)の映画にも、世間にも溢れているじゃないか。誰も、悪人には、うんざり しているんだ。喜劇に、悪人がのさばっていりゃ、悲劇になるじゃないか。お客は、 一時(ひととき)なりとも、汚れた悪の世界を忘れ、天衣無縫(てんいむほう)寅芸( とらげい)捧腹絶倒し、小さな幸せに癒されるんだ。違うかい?」と。


   自らに語れ「我、(あお)いで天に()じず」と

  記憶力は、良いに越したことはない。が、良過ぎるのも問題がある事もある。シィーと言うロシア人がいた。彼に、例えば、4列13行の数列表を3分間だけ見せ、その後 、 表を伏せて再現させると、一つも間違わなかった。縦、横、その逆、対角線と、どんな順番でも容易に再現できた。それに、驚いたことに、その15年後も、今覚えたか  の ように再現できたそうである。彼は、カメラで写真を撮るように何でも一瞬で覚えることができたのだ。
    
 
 が、その故に、副作用もあった。何でも覚えてしまい、忘れることがないために、記憶した膨大な語が相互に邪魔し合い、本質・非本質の区別が困難になったり、あるいは 、 抽象的な思考が妨げられたり、現実と想像の区別を失ってしまう、と言うような弊害である。 

  如何に、記憶力抜群でも、他の思考力を犠牲にしては、良好な社会生活は営めない。与えたものが大きければ、失うものも大きいのだ。忘れることは、必ずしもマイナスではない。忘れても、人生に左程影響を与えないものは、忘れること、つまり忘却は大切である。これは、神の摂理(せつり)の一つでもあろう。殊に、高齢化の進展で、忘却しがちになるのは、自然の理で、やむを得ない。

 が、問題は、世上、「記憶にありません」症候群患者(しょうこうぐんかんじゃ)が続出していることだ。「記憶にありません」は、記憶していない=「記憶不全」と、記憶していたが忘れた=「忘却」がある。これら、(にわ)「記憶不全・忘却」症候群の患者が国会で出没し、世間を騒がせている。ロッキード事件以来、国会でのごまかし証言=「記憶にありません」が、今なお、堂々と、まかり通っているのだ。この証言者の、記憶を司る脳は、無責任・かつ(こう)顔無恥(がんむち)主人(あるじ)に対し、こう忠告しているに違いない。

  「私の主人が言う、(記憶にありません)、なんて、嘘だ。我が脳には、しっかりと記憶されているぞ。この発言は、不都合な真実を隠蔽(いんぺい)し、責任回避と保身 を(たくら)常套手法(じょうとうしゅほう)だ。これは、狡猾(こうかつ)な「内なる証拠隠滅」ではないか。 非日常・インパクトのある事柄や経験は、たやすく、忘れ るものではない。強い刺激が、脳内のニューロン(神経細胞)を興奮させ、その痕跡が、深く刻み込まれるからだ。何年、何十年たっても、長期記憶に残されているものが、 多々あるではないか。我が主人よ。我が脳の健全なる記憶力を表に出し、良心に従い、正々堂々と真実を述べよ。(しか)して、自らに語れ。<我、(あお)いで天に( )じず>」と。

                                                              『ルリヤ・偉大な記憶力の物語』 A・ルリヤ 天野清訳    総合出版

  ○ 
カケス(いわ)く「私の脳に及ばないではありませんか」と

 カケス(懸巣)というカラス科の留鳥がいる。記憶の名手だ。実りの秋、冬に備えて、ドングリを落ち葉の下などに隠し「貯食」する。その隠し場所は、最大4千か所にものぼり、正確に記憶していると言う。どこに隠したか、忘れることはない。どこにドングリをしまったか、きっちりマークされた「地図アプリ」を脳内に持っているのだ。

 隠し場所の記憶はいつでも引き出せる。どこのものを食べて、どこに食べ物が残っているかも、すべて脳内地図にプロットされている。カケス曰く「私の脳に(記憶はありません)は無い」と。また、曰く「どこかの国の(記憶にありません)症候群の方々よ。あなた方は、選良とされているけれど、失礼ながら、私の脳に及ばないではありませんか」と。                 

                                                                                  『鳥の話』     細川博昭      SB Creative

                                                                                    
 参照: 2017/5/1 追加の詩 


    ○ 
あゝ 世界を統治する万能の神よ!

  世界を二つの国に区分する時代に入った。天国と、地獄の国である。後者の国が如何に多いかを実感する事態が、世界を震撼(しんかん)させている。地獄の国から、貧困 、飢餓、戦争、テロ、迫害等の責め苦から脱出しようと、天国に見える国に大挙殺到している難民、移民の群れだ。これに對して、天国の住民たちは、悲鳴をあげて、合唱し 始めた。「もう、来るな!ここは満員だ。お前たちのせいで、この国は地獄になりそうだ。我慢も限界だ。帰れ!」と。

    これに應えて、地獄の国の人々は、悲しそうな声で、こう叫んでいる。「一体、どこに帰れと言うのか!我々に安住の祖国はないのだ!」と。世界は新たな対立と紛争、 そして、不寛容に覆われ始めた。心ある人々は、天を仰いで、叫び始めた。「あゝ 世界を統治する万能の神よ!このカオス(大混乱)を如何(いか)にせん」と。


                                                                               以上

                                                                                                                

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