第11回(2018/09/01)




献上御松茸(けんじょうおまつだけ)御用(ごよう)~(『幕末百話』 篠田鉱造著 岩波書店)より~


『幕末百話』とは

  本書は、幕末維新の激変期に生きた庶民が語る実話集である。明治の半ば、新聞記者の著者が、幕末の古老の話を採集、編集したものだ。その中から、特に面白い編を抜粋し、筆者の読後感を記す。100年以上前の話にもかかわらず、只今現在、目の前で肉声を聞いているような臨場感と迫力がある。


「献上御松茸の御用」

◆本編の荒筋


  公儀(徳川将軍家)へ松茸を献上する為、編成された担ぎ人足の百姓が、ふとした途端に、ヤニ煙管(きせる)を、御墨附(おすみつき)封印(ふういん)の松茸の荷にさし忘れ、御城へ持ち込まれてしまった。それが、発見され、役人による人足の詮議に発展、後で気が付いた当人は、蒼くなり、逐電(ちくでん)したが、遂には首を縊って死んでしまった。

◆本編の内容


・御禁制山


  上州仁田太田(じょうしゅうにったおおた)金山(かなやま)、有名な大行院呑竜(だいこういんどんりゅう)様のある土地(ところ)。アスコが昔は公儀へ松茸(まつだけ)を献上する場所なんです。この松茸は御城の御膳所(ごぜんしょ)へ送り込み、将軍が召料(めしりょう)になるというほどの物ですが、ソレについては土地の心配一通(ひととおり)でありません。ちょうど8月8日が開山期。松茸の出始める時節となりますから、公儀の御禁制山(おとめやま)と申して、誰も金山へ登ることが出来なくなるんです。

 平生(ふだん)新田義貞(にったよしさだ)の城跡なんかありまして、諸人の遊び場となっていたのが、この月この日からは足を入れるどころか、土地の者は松茸も喰べられません。松茸の匂いでもさせようものなら、スグ赤総(あかぶさ)の十手が入って来て、ソレこそ踏縛(ふんじば)られてしまわなければなりません。

・葵の御紋

  コノ松茸を公儀の御膳所へ持込むのが宿々駅々(しゅくじゅくつぎつぎ)の問屋で受取って、一昼夜に太田の金山から御城まで担ぎ込むんですが、松茸の荷の作りもリュウキュウで包み、その上を紺の染麻(そめあさ)(ゆわ)い、ソレに青竹を指し、御墨附封印(おすみつきふういん)という厳重さ。葵の御紋が添わります。大したもので、松茸ともいえません。

  松茸なんと呼捨(よびすて)にもされない。「御松茸御用(おまつだけごよう)」と申したもので。ソレから問屋々々も明日の何の刻には御松茸がお通りになるというので、人足を出し、いずれも肩を揃えて先の宿から来るのを待受けて、スグ担ぎ出す趣向にしているんです。

・ヤニ煙管(きせる)

  一番先へ「御松茸御用」という木の札を押立てて来るんで、「ソレ御松茸だ」と人足は肩を揃える。スグ受取る。駆出す。その忙がしさ、(あわ)てさ加減は、咄嗟(とっさ)の間なんですが、フトした事で飛んだ間違いの起ったお話を申しましょうか。

  妻沼(めぬま)熊谷(くまがい)の間の、弥藤吾村(やとうごむら)須戸(すど)という御百姓が、人足に徴発されて、ヤニ煙管を(くわ)え、煙草を呑んでいた途端に、御松茸が来たから、煙管を仕舞う間もなく、肩を出して担いだ。で、啣えていたヤニ煙管をチョイと松茸の荷へさしたのを、ワッショイ〱と担ぐ騒ぎで、とうとう忘れて次の宿へ渡してしまったんです。御松茸はヤニ煙管を(つれ)て御城へ乗込む次第となったんでさ。

・百姓(なか)

  他の宿々でもチョットも気がつかない。なぜと申せば名主(なぬし)百姓代が立会って()るけれども、検る(とこ)はチャンと極っている。封印の点だけで。「御封印手摺無之(ごふういんてずれこれなし)」と記してやるから周囲(まわり)に煙管の挟んであるのに気の()く人はありませんでした。御膳所へ担ぎ込む人足は板橋ですが、板橋人足は皆好んだものだそうです。御城で甘酒が出たからですとのこと。

  
  ソノ板橋宿(いたばしじゅく)も気がつかず持込んだから、御松茸の籠の一つにヤニ煙管が挟まったなりだから、(やか)ましくなり、宿々の役人人足の御詮議となったんですが、ソレより先、弥藤吾村の須戸の爺さん(うち)へ帰ってから煙管を(ぬこ)うとすると、ないからハッと思うと、御松茸へ挟んだことに気がつき、蒼くなっていると、御詮議が厳しい風説(ふせつ)に、居ても()ってもいられず、逐電(ちくでん)しましたが、函根(はこね)で首を(くく)って死んだそうです。昔はこうした百姓(なか)せが多うござんした。


■感想

  公儀へ献上する松茸を、御城まで担ぎ出す人足として徴発された百姓が、ふとしたミスで、愛用のヤニ煙管を松茸の荷にさしてしまった。後で、はっと気が付き、厳しい詮議を畏れ、遂には自死してしまったという。

  松茸は、厳重に封印されているので、煙管が本体に接触した訳ではない。つまり、実害はなかったのだ。にも拘わらず、役人たちは、当事者の、些細(ささい)な落ち度を問題化し、過剰な詮議を行ない、断罪しようとしたのだ。

  ここでは、献上の松茸は一物質ではない。公儀の御用達であり、公儀そのものなのだろう。だから葵の御紋が添えられ、「御松茸」と(うやま)い、最上級の対処を課していたのだ。その対応に僅かでも齟齬(そご)をきたす人物があれば、御上の沽券(こけん)に関わるとして詮議に至ったのだろう。

  だからこそ、それを察し、(おそ)れた当の百姓は、追い詰められた上、自死してしまった.。徳川将軍家は、「御松茸」を賞味するまでに、どれだけ多くの百姓の生活や命が犠牲になっているのを知る由もなかったのだ。「一将功成りて万骨枯る」という成語がある。されば、ここでは、「一将美食至りて万骨枯る」ではないか。
                                                                                                                                                                    以上

戻る TOP